謎の帰化人・秦氏

日本人の信仰、伝統、文化には古代日本にあったイスラエル系渡来人の影響があるとお伝えしておりますが、今日はいよいよ「秦氏」についてご紹介いたします。B.C.8以降、日本には多くのイスラエル系渡来人があったと考えられますが、A.D.3頃から「秦氏」と呼ばれる人たちが日本に渡って来ます。彼らはどのような人達だったのでしょうか。坂東誠著「秦氏と謎のユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。

渡来系秦氏とは何者か?

「古事記」は712年に、「日本書紀」は720年に編纂された。その後、815年に編纂された「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」という歴史書がある。・・・いわゆる古代氏族名鑑であり、各氏族を神別、皇別、緒蕃(しょばん)に分けて、その先祖や家系、由来を明らかにしている。・・・緒蕃は外国から帰化した家柄のことだが、百済、高麗、新羅、任那(みなま)、漢等に分類されている。・・・

これらの渡来人の中で、人数も多く優秀であったのが秦氏の系統だと言われている。「日本書紀」などでも、秦氏が日本の文化に非常に優れた貢献をしていることが記載されていて、帰化人で最初に大蔵相に任命されたのが秦氏である。また雅楽などの芸術や大陸の殖産工芸の技術を日本に伝えたのも秦氏であった。

最も有名な秦氏出身者は秦河勝(はなたのかわかつ)だ。秦河勝は渡来人であったが、聖徳太子のブレーンとして活躍した人物だ。聖徳太子より賜った弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置するために、広隆寺(こうりゅうじ)を建てたり、平安京の造成に携わったり、その他、伊勢神宮の創建時にも関わったと言われている。さらに・・・日本に養蚕(ようさん)と絹織物(はたおり)の技術をもたらしたとされている。

秦氏研究の権威であった佐伯好郎(さえきよしろう)教授によると、(秦氏は)弓月(クンユエ)国という中央アジアのバルハシ湖の南にある国の出身ではないかという。この弓月国は1世紀から2世紀に存在した国で、キリスト教国の小国だったようだ。

弓月国には「ヤマトゥ」という地名がある。イスラエルから日本に渡り、京都の護王神社の見習いまでして日本の文化を研究したユダヤ人、ヨセフ・アイデルバーグ氏によると、ヘブライ語で「ヤマトゥ」の「ヤ」は神を、「マトゥ」は民族を表す。つまり「ヤマトゥ」は「神の民」を意味すという。アイデルバーグ氏によると、これが「やまと」の言葉の語源になったのではないかという。(本からの抜粋は以上です。)

秦氏はキリスト教徒だったのか

弓月国の人々のキリスト教は景教(けいきょう)、ネストリウス派キリスト教だったという説があり、秦氏も景教徒だったのではないかと佐伯教授も当初考えていたようです。しかし、その後の研究から秦氏は景教徒ではなく、初代エルサレム教会、つまり、イエスの直接の弟子たちを中心とする人たちの末裔ではないかとも考えられており、私自身はその可能性が高いと考えています。そのことについてはまた来週ご紹介したいと思います。

西欧キリスト教とは違う聖書の信仰

いずれにしても、日本には紀元前よりイスラエル系渡来人の影響、つまり古代ユダヤ教の信仰、伝統の影響があり、さらに紀元後には秦氏と呼ばれるイエスの教えを持ったユダヤ系の人たちの影響もあったと考えることができるのではないでしょうか。それは西欧キリスト教の伝統とは違った聖書に基づく信仰と言うことができるのではないかと私は思っています。

日本人として聖書を読む

以上のようなことからも、私は西欧キリスト教の伝統とは切り離して、日本人として聖書を読むことが大切ではないかと思っています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 10章34~43節

そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。

神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。

あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。

しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。

イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。

イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」

神はかたよったことをなさらない

神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、またその宗教によらず、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられる。全くその通りだと私は思います。イスラエルの子孫にみことばを送ったというのは、イスラエルに与えられた旧約聖書のことだと思います。それはイスラエル人だけのものではないということだと思います。

特定の宗教によらない

イエス・キリストはすべての人の主です。その通りだと思います。キリスト教徒だけではない。ユダヤ人だけではない。全人類の罪(自己中心)のために十字架について、赦しを与え、よみがえった。神様が唯一であり、全人類の神様であるなら、それはキリスト教徒だけ、ユダヤ教徒だけということはないと思います。宗教ではなく、神様を中心にして生きることが大切だと思います。