現実を受け入れる

確かに人生は良いことばかりではありません。どうしてこんなことが起こるのだろうということもあると思います。でも、それが現実だと思います。いつまでも現実を現実として受け入れることができないでいれば、そこから先へ進むことはできません。これが現実だと受け入れ、たとえそうであっても、自分が出来ることをやれば、それでいいと受け止めることができれば、前進できると思います。問題はどうやって現実を受け入れるのかということではないでしょうか。

私は神様を信じるというのは現実を受け入れることだと思っています。なぜなら、今、自分に起こっている出来事も、全世界で起こっている出来事も、神様はすべてを支配しておられるということを信じることが神様を信じるということだと思うからです。どんな小さな日常的な出来事でも、また歴史的な大きな出来事でも、神様が知らないうちに起こってしまったということはないと思います。もちろん、神様は私達に災いをもたらすお方ではないと信じていますが、神様の許しがなければ私たちに災いが降りかかることもないと信じているので、その理由をすべて知ることはできませんが、神様はこの現実を許されたことは間違いないと信じています。

もちろん、私は人間であり、神様の心をすべて分かる訳ではないので、時には、なぜ、どうして、こんなことが、そう思うことはあります。つまり、神様、どうして、このようなことを許されたのですか、そう祈ることはあります。人はすべてを知ることはできません。でも、神様がこの現実を許されたことは事実です。神様を信じるとは、その理由のすべてを知ることはできなくても、その現実を受け入れることなんだと思います。それは辛いこともあります。でも、そうやって成熟する、成長するというのは、辛いことがあるということを知って行くことなんだろうと私は思っています。

歳を重ねると、若い頃とは違って、そういう経験を随分重ねて来たなあと感じることが多くなってきました。最近、涙もろくなったのは、そういうことなのかもしれません。皆さんはいかがでしょうか。若いうちはなかなか現実が受け入れられないということもあると思います。歳を重ねてもそうかもしれません。そういうものだろうと思います。でも、神様を信じるというのは、現実を受け入れること、いつまでも甘えてはいられないということを自覚すること。そういうことだと私は思っています。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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