過ちは繰り返しませぬから

昨日、オバマ大統領が献花し、核廃絶の演説をした広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」

「過ち」とは誰の過ちのことを言っているのか、日本人が「もう原爆を落とされるような悪いことはしません」ということなのか。様々な議論があるようです。私も以前に、東京裁判で唯一、日本の無罪を主張したインドのパル判事がこの碑文を見て、「原爆を投下したのは日本人ではない。」と憤ったという内容を読んで、確かにその通りだ、過ちを犯したのは日本人ではないではないかと思ったことをがあります。

今回、この碑文について、あらためて色々な意見を読みながら思いました。それぞれ自分はどう考えるのかと振り返る余地があることもまた良いことではないかと。私自身としては、単に日本人の過ちとか、アメリカ人の過ちということではなく、やはり人類の過ちと受け止めることが大切ではないかと思いました。誰が正しくて、誰が間違っていたのか。それは最終的には神様が裁かれることであり、私たち人間には難しいところがあるのではないかと思います。でも、完全に正しい人はいないと思います。いや、むしろ人間はいつも間違うものではないでしょうか。それぞれが、それぞれの過ちを認めて、過ちを二度と繰り返さないと悔い改めることが大切ではないでしょうか。それでも、また間違いを犯すかもしれません。でも、大切なことは自己弁護したり、自己正当化することではなく、自らの過ちを潔く認めて、またスタートすることではないでしょうか。

この慰霊碑の前で、原爆を投下した国の大統領と被爆して苦しんでいる人が直接握手を交わし、肩を抱く姿を見て、言葉に出来ないものを感じました。こんなことができるのはやっぱり日本人しかいないんじゃないか、そう思いました。これこそキリストの心ではないでしょうか。これが聖書から教えられる生き方ではないでしょうか。私はキリスト教国と呼ばれる国の人々よりも、日本人の心の中にむしろキリストの心を見る思いがいたします。

日本人って本当に素晴らしいと思います。