皆、自分のことを分かって欲しいと思っています
誰もが皆、自分のことを分かって欲しいと思っているのではないでしょうか。私の気持ち、私の言いたいことを分かって欲しい。でも、なかなか自分が望んでいるように分かってくれる人はいないものですね。すると不満が募り、時には分かってくれない相手に対して、苦い気持ちを持ってしまうこともあります。
それが人間関係を壊してしまいます
人間関係のトラブルの原因は突き詰めればこれではないでしょうか。私の気持ちを分かって欲しい。どうして私の気持ちが分からないのか。でも、相手もやっぱりそう思っていて、お互いに相手に期待や要求ばかりしていれば、「もういい!」 とばかりに人間関係が壊れてしまいます。何とかならないものでしょうか。
神様が分かった時に解決があることが分かりました
神様が分かった時、この人間関係の根本的な問題にも解決があることを私は知りました。今日はそのことを書いてみたいと思います。
自己中心が問題です
「私のことを分かって。私のことを構って。私を中心にして。」 こんな自己中心的な態度では人間関係がうまくいかないのは当然だと思います。子供なら分かりますが、大人になるというのは、そのような自己中心性を一つ一つ手放していくことだと私は思います。相手が子供なら、こちらが相手を分かってあげることは比較的容易にできるかもしれませんが、立場によっては、こっちの気持ちを分かって欲しい、とまた自己中心性が顔を出すことになるでしょう。
相手を分かってあげられれば問題は解決するのですが
その通りです。私のことを分かってという思いが自分を不愉快にし、人間関係をギクシャクさせています。相手に期待しないで、自分が相手を分かってあげられれば問題は解決します! 結局、人間関係のトラブルの原因は自己中心であって、相手を中心にしてあげれば良い。でもね。いかがでしょうか。それは分かってはいるんだけど、腹が立つんだよね。こっちの気持ちも分かってくれよ。そういうことではないでしょうか。
神様が私の気持ちを受け止めてくれる
実は、私は神様が分かった時に、それは人に期待するものではない。人に期待するから不満になる。それは神様に求めるものなんだ。私のことを全部、どんな気持ちも、分かってもらえない口惜しさも、全部受け止めて、分かるよと言ってくれる。それが神様なんだと分かった時に、随分人には期待しなくなりました。
だから私が人を分かってあげることができる
人に期待しないだけでなく、むしろ、人は皆分かって欲しいと思っているんだから、できるだけ分かってあげられるようにしよう。もちろん、何でそんなこと言うのか、どんな気持ちなのか、全部分かる訳ではないけど、でも、私の分からない何か事情があるんだろうということは分かります。そうやって分かろうと努める時に、難しい人間関係は激減しました。
こんな生き方があったのか
人間も捨てたもんじゃないですね。不信感なんてどこ吹く風でしょう。人に期待し、人に求めるのではなく、どれだけ人を理解し、受け止められるかと自分の向きを変えられた時、生きることが楽しくなりました。
神様が人間となり、十字架で死んでくださったことの意味
神様は罪は犯されなかったけど、まったく人間と同じ姿になって、この地上に来てくださり、人間のすべての苦しみ、悲しみを味わい、共感してくださったと聖書に書いてあります。神様ご自身が十字架につけられた時も、自分を十字架につけた人に対して、「神様、どうかこの人を赦してください。自分では何をしているのか分かっていないのです。」 そう祈って下さったことが記されています。
神様は今も共にいて、私のすべてを受け止めてくださいます
目には見えませんが、その神様が今も私のそばにいてくださり、私を抱きしめるようにして、どんな悲しみも、どんな苦しみも、自分では表現できないような思いであっても、全部分かってくださっているということが分かる時、私の心は満たされます。そうやって、自分の努力と頑張りによって自己中心を抑えて、我慢して人のことを分かってあげるのではなく、私はもう満たされているので、人の気持ちを理解してあげようと寄り添う力が出てくるんだろうと思います。
できない時もあります。そんな時は、その気持ちを神様に打ち明けます
もちろん、まだまだそうできないこともあります。そんな時は、神様の前に出て、そんな気持ちを神様に言い表して、神様に受け止めてもらいます。そうやって、随分できるようになってきたと思います。神様が分かると、その分だけ人間的に成長できるんだろうと思います。
宗教ではありません。神様との関係です
いかがでしょうか。こういうことは日本人であれば、クリスチャンでなくてもよく分かっていただけるのではないでしょうか。これは何かの宗教をやるということではなく、神様がそういうお方であると分かるかということだと思います。どうぞ宗教ではなく、そのような神様との関係を個人的に築いてください。このブログが、そのための何かの参考になれば、とても嬉しいと思っています。
今、神様に自分の思いをそのまま打ち明けてみてはいかがでしょうか
神様は今もあなたと共にいてくださいます。それが私たち日本人の信仰です。神様の祝福をお祈りします。
未熟なクリスチャンです。
人に期待せず、どうポジティブな人間関係を築けばいいのかわかりません。
いつも境界線の引き方が下手で避けられた傷を受けてしまいます。
アドバイスを頂きたいです。
よろしくお願い致します。
お返事が大変遅くなって申し訳ありません。コメントありがとうございます。良好な人間関係をどう築いたら良いのかとのご質問ですが、人に期待しなければ裏切られることも、傷つくこともないと思いますが、私もある程度は期待してしまいます。関係が薄ければ期待も薄いですが、家族のように関係が濃いと期待も膨らんでしまいます。だから、身近な人ほど、がっかりすることも多くなってしまいます。まあ、そういうものだと私は思っています。いっさい人間関係を持たなければ傷つくこともありませんが、そんな人生は楽しくもないと思います。関係を持てば傷ついたり、傷つけたりすることもありますが、それが人生だと私は思っています。でも、あまり深く傷ついたり、立ち直れないほど傷ついたりはしたくないので、適度な距離を持つこと、期待もほどほどにすることにも気をつけています。傷ついたときは、ああ、期待していたんだなあと考えて、じゃあどうするのか、それでもいいじゃないかと考えるか、もうちょっと距離を置こうと考えるか、それはケースバイケースで、そうやって人間関係も上達していくのではないでしょうか。傷ついた分だけ経験値も上がり、成長できるとも考えています。何か参考になるでしょうか。また、質問ありましたら遠慮なくお知らせください。主は傷の中にもいてくださいます。いや、最も裏切られ、傷ついたのはイエス様ご自身だったでしょう。それでも主は「父よ、彼らを赦したまえ」と祈られました。もちろん、すぐそこまで行けませんが、少しずつ近づければ幸いです。祝福をお祈りしています。