問題の原因は自己中心

永遠の命の希望を持って生きて欲しい

昨日のブログの最後で、「私の人生はこれでいい、と思えるような生き方をして欲しい。」と締めくくりましたが、もう一つ伝えたいことがありました。それは、この地上の命だけでなく、永遠の命の約束があるということ。神様は私たちに罪の赦しと永遠の命を与えるために、十字架の上に自らの命を捧げてくださったと聖書には書いてあります。この希望を持って生きて欲しい。

それは死で終わらない希望

たとえこの地上の人生がどのような人生であったとしても、人間的には報われることの少ない人生であったとしても、それは人の見方に過ぎません。私には永遠の命の希望がある。死で終わらない希望。日本人は死してなお無くならない、この希望に目を留めて生きてきたのだと思います。今、私にもこの希望があります。日本の全ての人に、この希望を持って生きていただきたい。これが「日本人の信仰と聖書について考える会」を始めた一番の理由だろうと思います。

すべての問題の原因は「自己中心」にたどりつくでしょう

さて、今日のテーマは「自己中心」です。結局のところ、すべての問題の原因はここに行きつくのではないでしょうか。そのイライラの原因は何でしょうか。自分の思い通りにならないということであれば、それは自己中心という問題だと思います。

願いを達成すれば満足するのか

自分の願いや思いを達成すれば私たちは満足して、幸せになれると思っていますが、実際にはそれを満たすと、もっと欲求が膨らんで、私たちは満ち足りるということがありません。もちろん、現状に満足することなく、目標を高く掲げて、成長を目指して努力することは大切なことです。私が言いたいのはそういうことではなく、不満やイライラの原因です。

何を満たしたいのか。自分?

自分の中にある欲求を満たすために、まだ足りない、まだ駄目だと何かを追い求めるのと、すでに私は満たされている、私は幸せだという達成感の中で、さらに高い目標に向かって努力をするのは全く違います。そういう意味で、自己実現とか、夢を叶えるとか、そういうことが良く言われますが、そうすれば幸せになれるとか、そうすれば良い人生になると考えているのだとすれば、それは空振りに終わってしまいますので要注意です。

満ち足りることを知る。これぞ日本人の心

だいたい、そういう考え方は本来の日本人の考え方ではないと私は思います。日本人はどこか別の場所に幸せを探すのではなく、今いるところで満ち足りることが大切だと考えてきたのではないでしょうか。それは聖書が言っていることと全く同じだと私は思います。

自己中心が死をもたらす!

私たちの不満の原因は自己中心です。この地上の不幸の原因も自己中心だと思います。それは自分の思い通りにしたいという欲求です。神様が少しずつ分かってきて、問題の原因は自己中心だということも私は分かってきました。聖書には「自己中心は死をもたらし、神様は命をもたらす。」というようなことが書かれています。

方向を変えて、神様を求める

そうか!自分の欲求、自分の欲望、自分の願い、それを達成すれば幸せになれるのではなく、その行きつく先は死だと聖書は言っているんだということです。じゃあ、どうすればいいのか。神様は命をもたらす!そうです。神様を求めるところに命があるということ。これが分かった時、今まで、どれほど方向違いの努力をしてきたものかということに気づきました。もちろん、今でも間違うことがあります。自分の思い通りにならないで、イライラしていたりすることはあります。でも、そうそう、死に向かってるよなと気づいて、方向を変えることができれば幸いです。

自分の欲求を満たすのではなく、神様の欲求を満たす

神様を求めましょう。それが日本人の心です。自分の欲求を満たそうと求めるのではなく、神様の欲求を満たすことを中心としましょう。それが命につながり、幸せにつながっています。何度も言いますが、それは宗教をやることではありません。どう生きるかということだと思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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