キリスト教は外国人の宗教?
実は聖書の記録からも、キリスト教は外国人のための宗教として発展していったことが分かります。そのことからも、私たちは日本人として日本人の信仰を大切にすべきこと、本当に大切なことは何かということが分かってきます。
パウロの同労者は外国人ばかりだった!
パウロという人が、コロサイという町にいる、神様を信じる人々に宛てた手紙の最後の部分でこのように書いていて、新約聖書の中にも収められています。「ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。」 割礼を受けた人というのは、ユダヤ人のことですから、パウロと一緒に働く人たちの中にはあまりユダヤ人がいなかった、つまり外国人ばかりだったということが分かります。
神様が分かった喜び
パウロ自身はユダヤ人でした。しかも、旧約聖書に書いてある律法を厳格に守って生活をしていました。ところが、人となった神様が人類の罪の身代わりとなって、十字架について死なれ、3日目によみがえったことを知り、パウロは神様が分かった。その喜びをこのように記しています。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」
キリスト狂?!
今まで大事だと思っていたものがすべて霞んでしまうくらい、神様が分かったという感動は大きかったことが分かります。それで、パウロは「人となった神様」、つまり、「キリスト」狂?になっちゃって、ユダヤ人かどうかなんてもう関係ない!というところまで行っちゃって、それでユダヤ人はとてもパウロについて行けなくなって、ユダヤ人に憎まれて、命までねらわれるようになったことが新約聖書の「使徒の働き」というところに記録されています。
外国人の宗教としてのキリスト教の始まり
本来、旧約聖書は神様とユダヤ人の記録だったんです。人となった神様もナザレという村の出身のユダヤ人でした。その弟子たちも全員ユダヤ人でした。でも、ユダヤ人たちはパウロについて行けなくなって、それでパウロは外国人にその感動を伝えるようになって、それがやがて今日の西欧キリスト教へと発展して行くことになります。
立場が逆転するまでになってしまった
それはそれで良かったんだと思います。そのためにこの神様の感動はユダヤ人だけでなく、外国人にも伝えられて行った訳です。ところが、今ではその立場が逆転しちゃって、外国人の方が本家本元のようになって、聖書に書いてあるイスラエルというのは、キリスト教会のことを言っているんだという主張までするようになって、聖書はキリスト教の本のように考えられるようになってしまいました。
大切なことは「神様」です
でも、皆さん。やっぱり本家本元はユダヤ人だった訳です。パウロは感動のあまり、ちょっと強調し過ぎちゃったのかもしれませんが、大切なことは人となった神様を通して「神様が本当に分かる!」ということです。それはユダヤ人じゃいけないということでもなかった訳です。
パウロについて行けなかったユダヤ人と日本人の関係
それで、人となった神様が分かったユダヤ人たち、特にその弟子たちはエルサレムに残り、パウロとは別の道を歩むようになりました。やがて、その末裔が「秦氏」と名乗るようになって、はるばる日本までやって来て、そして日本文化の礎を築いたことが分かっています。それは紀元3世紀頃の出来事です。詳しくは「日本人の信仰と聖書について考える会ホームページ」をご覧ください。
日本人の信仰の源流
だから、日本人の信仰の根底にはユダヤ人の信仰があります。それはパウロから始まった西欧キリスト教とは違う道をたどって発展して来ました。だから、大切なことはキリスト教徒になることではありません。「神様が分かる」ということが大切なのです。神様が分かれば分かるほど、私たちは本当のことが分かってきます。これまで、日本人が大切にしてきたこの信仰を見直し、神様に心を向けて生活をすることで、私たちの生活は深められていきます。
外国人の皆さん。この奥義を知ってください!
パウロはローマにいる神様を信じる人々に宛てた手紙の中で、このようなことを書いています。これも新約聖書の中に収められています。「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」
日本人の信仰を取り戻す時が来た!
異邦人、つまり外国人の完成のなる時まで。それは西欧キリスト教、つまり外国人の宗教が世界三大宗教と言われるまでになった今日、完成と言っても良いのかもしれません。少なくとも完成の時は間もなくだと言って良いでしょう。そしたら、イスラエルはみな救われる、つまり本当に神様が分かるようになる。いよいよ、日本人が日本人の信仰を本当に取り戻す時が来ているということではないでしょうか。