神中心は人間の本来の在り方
これまでこのブログでご紹介させていただいたことを今日は簡単にまとめてみたいと思います。最も重要なこととしてお伝えしていることは、第一に神様を中心にするところに私たちの問題の解決があるということです。私はそれが人間本来の在り方だからだと思います。中心がずれていれば問題が起こりますし、解決もできません。どんな問題も神様を中心にすれば、解決があるというのが私がこれまでに経験したことです。このことを全ての人にお伝えしたい。これが「日本人の信仰と聖書について考える会」を始めた理由であり、私のライフワークです。
バックナンバーをお読みください
これまでのブログで、神様を中心にすることでどのように問題が解決したのか、また神様を中心にするというのはどういうことなのかということも書いてきました。まだ、お読みでなければ、どうぞバックナンバーをお読みください。また、こんな問題は神様を中心にするなら、どう考えることができるかという質問があれば、お知らせください。
今の生活のままで良いのです
第二に、それは決してクリスチャンになるとか、何かの宗教の信者になるということではないということです。神様の話をすると、何かの宗教の話なのかと思われる方も多いと思いますが、日本人にとって神様を信じるということは当たり前のことであり、何かの宗教の信者になることを意味していないと思います。ただ、実際に毎日の生活でどれだけ神様を意識しているか、ましてや神様を中心にして生活しているかと言われれば、いかがでしょうか。それで神様を中心にして生きるという日本人本来の力を発揮できないのではないかと私は思います。何かの宗教の信者になるのではなく、今の生活のまま、神様を中心にした生活をすることを考えていただきたいと思っています。
聖書も毎日少しずつご紹介したいと思います
続きはまた明日書くとして、今日も少し聖書から続きを引用して私の感想を書いてみますので、皆様の参考にしてください。参考にしてくださいという意味は、私の感想が正しい聖書の解釈であるとか、正しい教えだということでお伝えしているのではないという意味です。また明日そのことについても説明できればと思いますが、「日本人の信仰と聖書について考える会」は特定の教えを伝えるのではなく、私の文章を読んで、賛同する部分もあれば、そうでない部分もあって、皆さんの問題解決や成長のための参考になれば良いということです。最終的には皆様ご自身の良心で判断することが大切だというのが私の考えです。
新約聖書 ルカの福音書8章22~25節
「そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、『さあ、湖の向こう岸へ渡ろう』と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、『先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです』と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。イエスは彼らに、『あなたがたの信仰はどこにあるのです』と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。『風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」
聖書は神様の視点で読むと理解できるという点で一貫していると思います
聖書と呼ばれている複数の古文書はどれも何かの教えをまとめたものではなく、基本的には事実の記録であり、その信憑性は高いと考えられます。私は文字通りこのような出来事があり、それを体験した人々がそれを記録したと考えられると思います。このような超自然的な出来後の記録を私たちはどのように受け止めたら良いでしょうか。人間の視点から見ていると、これは何かの例えではないか、そこに込められた教えは何かという考え方になってしまうと思いますが、神様の視点で見るなら、神様は自然現象も支配しておられる方であるということが分かると思います。そして、イエスという方にその力があることが分かりますので、確かにこの方はただの人間ではなく、人となった神様であるということが分かります。
自然現象を左右する神様
イエスは弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われていることから考えると、「信仰」とは神様を中心に物事を見ることではないでしょうか。「どうして人間的な考え方しかできないのか。なぜ神様を中心にして物事をみることができないのか。」そう言われているのではないでしょうか。もちろん、神様は無暗に自然現象に介入される訳ではないでしょう。でも、必要があればいつでもこのようなことをすることができるお方であることは間違いのないことだと思います。そのような神様にしっかりと目を留めることが私たちの平安の根拠だと思います。神様が中心になっていれば、たとえ私たちの力を超えるような出来事が起こったとしても、心配する必要がありません。太古の昔から日本人はこのような神様に信仰の目を向け、不要な心配はしないで、自分のやるべきことに集中して来たのだと思います。そして実際、必要な時には神様は自然現象にも介入されました。どうぞ私たち日本人が崇めて来た神様は自然現象をも左右する力を持っていることを思い起こしてください。