クリスチャンにならなくても救われます
クリスチャンという言葉の定義にもよると思いますが、それがキリスト教徒という意味であれば、救われるためにキリスト教徒になる必要はありません。聖書は神様を中心とするなら救われると書いてあります。大切なことは何かの宗教の信者になることではありません。実際に毎日の生活の中で神様を中心として生きることが救いなのです。
救いとは何ですか
神様を中心とした生活をすることができるということが救いです。私たちが抱える全ての問題は結局神様が中心となっていないところに原因があります。神様を中心とすることによって、どんな問題も解決へと導かれて行きます。
イエス・キリストの十字架と復活とは何ですか
神様を中心とした生活ができる根拠です。太古の昔からやがて神様が人となってこの地上に来られると言われていましたが、今から約2千年前にそれが実現しました。それがナザレ出身のイエスという人物です。イエスは私たちの代わりに罰を受けられました。それが十字架です。そして、3日目によみがえり、これが確かに神様の力であることを示されました。私たちはイエスの十字架と復活のゆえに、神様を中心とした生活をすることができるのです。
イエスが再び来られるとはどういうことですか
人となった神様であるイエスは3日目によみがえった後、40日間その姿を示し、天に帰られたと記録に残されていますが、再びこの地上に帰って来られるとも書かれています。その時にはこの世界の悪が完全に滅ぼされ、神様の善が全てを支配することになるとも書かれています。その時には、すでに死んだ者もよみがえり、永遠に神様と共に過ごすことになると書かれています。私たちは死んで終わりではありません。神様と共に永遠に生きることになるのです。
今はどうしたら良いのでしょうか
今、神様を目で見ることはできませんが、確かに神様は生きて働いておられます。この神様を中心にした生活をすることが大切です。やがて神様が来られた時には、完全な形でその喜びを味わうことができますが、今も神様を中心とした生活をすることで、その前味を味わうことができます。そのために毎日時間を決めて神様に心を向け、聖書を読むことをお勧めしています。
聖書はキリスト教の教典ではないのですか
聖書はキリスト教の教典ということではありません。聖書は神様について記された世界最古の文書です。おおよそ人間の神様に対する信仰というものは聖書の影響を受けていると言って良いと思います。特に日本においてそれは顕著です。私たち日本人が太古の昔から崇めて来た神様について、より良く知るために聖書を読むことは大変有益であり、これに勝る書は他にはありません。
新約聖書 ルカの福音書10章1~16節
それでは、今日も聖書の続きを少し読んで、私が思ったことを書いてみたいと思います。どうぞ皆様の参考にしてみてください。「その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。『実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』 あなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。』」
イエスの働きは拡大しているようです
以前に12人の使徒を遣わしたことがありましたが、今度は別の70人を決めて遣わしました。弟子たちの数も増えて、その働きが拡大しているように感じます。それでも「実りは多いが、働き手が少ない。」とイエスは言っています。私もこうして一人でブログを書いて、妻と二人でパンフレット配布をしておりますが、日本の1億2千7百万人の全てにとまで言わないとしても、どうやって少しでも多くの人に伝えることができるだろうかと考えています。賛同してくださる方のご協力をぜひよろしくお願いいたします。
平安の祈り。神の国。さばきの日
どんな家にも平安を祈りながらパンフレットを配布させていただこうと思います。伝えるメッセージはやはり「神の国」ですね。神様を中心とした生活。イエスが再び来られる日も近づいていることを考えながらパンフレット配布にも、このブログにも取り組みたいと思います。確かに中には受け入れない方もいらっしゃるでしょう。残念なことです。今日も頑張ります。皆様の平安と祝福もお祈りいたします。今日もブログを読んでくださり本当にありがとうございいます。