神様を中心とした子供の教育

子供を中心とするのか、大人を中心とするのか

子供を伸び伸びと育てたいという子供中心の教育が広く支持されているように感じます。大人の都合で子供をしつけることへの反省もあるのかもしれません。その結果、子供がわがままになってしまい、本当にこれで良いのかと悩まれている方も多いのではないでしょうか。大人でもなく、子供でもなく、神様を中心にすることがその答えになると思います。

神様を中心とした子供の教育とは

子供は親の物でも、また子供自身の物でもありません。昔から日本では、子供は神様からの授かり物と言ったように、神様の物と受け止めることが大切だと思います。神様は子供の教育を親に委ねたのです。私たち親はその使命と責任を自覚し、神様の子供として育てることが大切だと思います。

一貫して愛情を注ぎ、時間をかける

ですから、親の都合が優先してはいけません。親の好みで、ある時はちやほやし、ある時は放っておくということではいけないと思います。子育ては大変な時もあります。憎らしく思うこともあるかもしれません。でも、神様の子供ですから、こちらの気分ではなく、一貫して愛情を注ぎ、時間をかけ、接することが大切だと思います。

神様の子供はどうあるべきでしょうか

2歳を過ぎる頃になると、何でも自分でやってみたくなり、親の言う事を無視することもあるかもしれません。神様の子供としてはどのようになって欲しいでしょうか。もちろん、子供自身の興味や関心そのものは悪いことではありません。でも、身に付けなければいけないルールや秩序というものはあると思います。こういう時にこそ子供を中心にするのではなく、また大人の都合を中心にするのでもなく、神様を中心に考える必要があると思います。

親に従う子供、反抗する子供

たとえば、クレヨンで紙に描くことは悪いことではありませんが、壁に描くことは良くないと思います。それは止めなさいと制止すべきだと思います。そして、そのような親の指示に一度で従うように子供を教育することが大切だと思います。もちろん一度でそのような態度を身に付けるということではありません。その都度、悪い行いを指摘して止めさせることによって、やがて一度で親の指示に従えるように教育することです。

感情的にではなく、子供の良心に話しかける

子供にとって、それは親が怖いから従うという動機にならないようにすることも大切だと思います。子供にはそれが正しいことであり、神様に喜ばれることだと教え、子供自身が神様の思いを中心にして、そのようにしたいという思いを持つようにすることが大切だと思います。子供が親に従うことを覚えるなら、心が安定し、危険から守られ、幸せな生涯を送ることができるようになると思います。それは子供自身にとっても、そして親にとっても大きな喜びになります。

大切なことは神様を中心とすること

大切なことは神様を中心に考えることです。全ての答えはそこにあります。また神様を中心とした子供の教育について書きたいと思います。どうぞ引き続きブログをお読みください。ブログのカテゴリーをテーマ別に分類しなおしますので、どうぞ過去の興味あるカテゴリーも読んでみてください。それでは今日も少し聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみますので、神様を中心とする生活の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書10章21、22節

「ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。』」

神様はこれらのことを幼子に現した

人となった神様であるイエスは喜びにあふれて、天の父なる神様に祈りました。「これらのこと」というのは、これまでの内容を考えると、イエスご自身は人となった神様であるということ、そして、神様を中心にする「神の国」こそ全ての問題の解決だということを指しているのではないかと私は思います。それは必ずしも賢い者、知恵ある者、学歴のある者、社会的に高い地位にある者ではなく、幼子のような者が知るということではないでしょうか。これが神様のみこころにかなったことだと言っています。

神様を知っているのは誰か

すべてのものが父なる神様から人となった神様であるイエスに渡されている。今、すべてはイエスのものだということでしょう。そして、子であるイエスという人物は何者なのかは父なる神様以外には知る者はない。そして、父なる神様とは何者なのかは子であるイエスと、イエスが父なる神様を知らせようと心に決めた人たち以外には、誰も知らないとあります。

全ては神様が中心

神様を中心として生きるとはどういうことなのか。それは神様から知らされて初めて分かるものなのかもしれません。ですから自分で分かってやろうということではなく、どうか神様教えてくださいと祈り求めることが大切だと思わされました。すでに神様を中心にするところに全ての問題の解決があると知っている方々は、それは神様が与えてくださった理解であることを覚えて感謝しましょう。まだ良く分からないという方は、どうか神様教えてくださいと祈り求めてはいかがでしょうか。必ず神様が理解を与えてくださると思います。

 

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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