日本人の神様は聖書の神様です
月曜日のテーマは「日本とイスラエル」です。現在のイスラエル共和国と日本の関係というよりも、日本人の信仰、文化、伝統が聖書の民である古代イスラエル民族の影響をいかに大きく受けているかをお伝えし、日本人が太古の昔から崇めて来た神様は聖書の神様であることを知っていただきたいと思っています。今日もニューヨーク生まれのユダヤ人で日本ユダヤ教団のラビ(教師)だったマーヴィン・トケイヤー氏の本から、日本人とユダヤ人の共通点についていくつかご紹介させていただきます。
清さを尊ぶ点も同じ
両民族は水を用いて、禊(みそぎ)を行う。そこへゆくと、キリスト教徒は手を頻繁に洗うことすらなく、入浴する習慣もなかった。西洋人が入浴するようになったのは、パスツールが19世紀後半に顕微鏡を使って、病気をもたらす細菌を発見して、病菌に対する恐怖心をいだいたからだった。安土桃山時代に日本を訪れたキリスト教の宣教師や、幕末の日本にやってきた西洋人たちは、日本のどこへ行っても清潔なのに驚いている。中国と朝鮮半島は西洋人の眼から見ても驚くほど不潔だった。中国や朝鮮半島でも入浴する習慣はなかった。
精神性の高さも同じ
ユダヤ人と日本人は世界でも珍しいほど精神性が極めて高い社会を形成してきた。文化は人の精神が形になって表れるものである。江戸時代の日本人は士農工商という身分に分かれていたにもかかわらず、全員が神仏を恐れて道徳を重んじた。人生は道徳の修養であると考えられた。ユダヤ人も神を称え、ユダヤ教の戒律を守ることを人生のもっとも重要な務めとした。
徳の高さ
幕末に日本を訪れた西洋人たちは口を揃えて、日本人が下層階級にいたるまで、礼節を重んじ、明るく親切で、社会秩序をよく守っていることを褒めそやしている。そして、家や部屋に鍵をかけることがないのに、貴重品が盗まれることがまったくないことについて驚嘆している。日本では中国や朝鮮と較べて、支配者であった武士階級は町人と違って、質実剛健で、質素な生活を営んでいた。日本では役人は清廉だったし、火災、水災という言葉があっても、中国語や韓国語と異なって、「官災」という言葉はなかった。日本と中国大陸の違いは、ユダヤ人とヨーロッパ社会の間の違いとよく似ている。徳と清潔を重んじることは一対のものである。
日本人の信仰、文化、伝統の中に息づく聖書の信仰
以上、マーヴィン・トケイヤー氏の本からの抜粋でした。世界でもユダヤ人と日本人だけがこのような共通した特質を持っているのは、古代日本にあった聖書の民であるイスラエル民族の影響と考えることができると思います。日本人の信仰、文化、伝統の中にこそ聖書の信仰が受け継がれていると思います。それでは、今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。どうぞ神様を中心とした生活の参考にしてください。
新約聖書 ルカの福音書12章1~12節
「そうこうしている間に、おびただしい数の群衆が集まって来て、互いに足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。『パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前(みまえ)には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。また、人々があなたがたを、会堂や役人や権力者などのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配するには及びません。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。』」
大きな神様がこんな小さな私を心に留めていてくださる
パリサイ人、律法学者たちとの対立が明確になって来ました。イエスは弟子たちに、来るべき対決に備えて心構えを与えたんだと思います。「パリサイ人の偽善に気をつけなさい。」 彼らに騙されないようにということでしょうか。また、隠れたところで言っていること、やっていることが必ず明らかにされると弟子たちに教えました。そして、人間を恐れるな、神様だけを恐れなさいと教えました。驚くべきことに、天地万物をお造りになられ、宇宙を支配している神様が、大した価値もないと思われる雀でさえも、その心に留めていてくださるとイエスはここで教えています。もちろん、イエスは対決に備えて弟子たちにそう教えたのですが、それは私たちにも当てはめることができると思います。
日本人は太古の昔から、こうやって困難を乗り越えて来た
大きな大きな神様が、ちっぽけな雀でさえ、その心に留めていてくださる。当然、あなたのことはもっと心にかけていてくださる。こんな私の祈りにも耳を傾けてくださる。どんな時にも、誰に対しても、この神様を中心にして生きる。それを貫く。そこに、どんな問題も乗り越える秘訣があると思いますし、日本人は太古の昔から今日まで、そうやって乗り越えて来たんだと思います。