神様を中心とした生活がもたらした日本人の優秀性

あらためて日本人と日本文化の優秀性を知る

火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です。日本人自身はあまり意識していないかもしれませんが、世界から見ると日本人と日本文化は特異であり、高い評価を受けることが多いようです。そんな日本人と日本文化の優秀性をあらためて知り、大切にしていただきたいと願っています。それと同時に、それは古代日本にあった聖書の民であるイスラエルの人々の影響であることを知り、神様を中心とした生活からもたらされたものであることを意識していただきたいと思っています。

こんな記事を見つけました

高等教育の充実 日本では大学(或いは大学院)まで、どのコース・どの科目も全て母国語で学べます。世界の殆どの国は母国語で全ての科目を高度なレベルまで学ぶことは出来ません。そのため海外に留学したり、英語を習得したりしなければならないのです。日本は技術先進国のため、科学は常に最先端を母国語で学ぶことができます。日本から出なくとも世界の最先端の博士になれる、そのことが当たり前、というのが、日本の教育レベルの高さを示しています。 建築技術 日本の橋梁、トンネル、タワーを建設する技術はどれも超トップレベルです。特に橋梁技術を保つのは難しく、明石海峡大橋、ベイブリッジ、アクアラインなどはどの国も架けられるものではありません。 道路の美しさ 日本ほど国の隅々まで同質できれいな道路が行き渡っている国はありません。(欧州などは車道の真ん中が平気で穴ボコのままだったりします。) 実は言語大国 日本語はマイナーと思っている方も多いかもしれませんが、世界に何百も存在する言語の中で、日本語はトップ10に入るメジャーな言語です。言語は経済以上に普遍的な国力を示します。現在、多くの国が英語を公用語と定めたりするなどして母国語滅亡の危機に迫られ、言語の世界では「英語帝国主義」として問題視されています(言語支配は文化や経済に及ぶのです)。このような母国語滅亡の心配は日本にはありません。(以上、ネット記事より引用)

神様を中心とした生活を大切にする

このように様々な領域において日本人の優秀性を見ることができるのは、日本人が伝統的に大切にして来た文化や価値観の影響があると私は思います。それは自分の都合ではなく、神様の思い、神様の願い、神様の正しさというものを中心にして来たからであり、そのような生き方が日本人の価値観や気質を形作って来たからではないかと私は思っています。私たちは今こそ目先の損得ではなく、日本人がこれまで大切にして来た、神様を中心とした生活を取り戻すことが大切ではないかと感じています。それでは、日本人の優秀性を形作って来た聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思いますので、神様を中心とした生活の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書13章1~5節

ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」

神様から離れた生活は滅びをもたらす

ピラトとは、当時ユダヤを管轄していたローマの総督です。ピラトがガリラヤ人たちの血をいけにえに混ぜたというのは、ガリラヤ人が神様にいけにえをささげている時に、そのような神聖な場所で殺されたということでしょうか。それは神様の罰なのか、彼らは余程罪深かったのか。何か不幸な目に遭っている人を見て、そのような考えを持つことがあるでしょうか。「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」とイエスは彼らに教えました。「悔い改める」とは、自己中心の生活から神様を中心とした生活に改めることだと思います。そこにどんな問題の解決もあると皆様にお伝えしています。それどころか、神様が中心でなければ、特別に罪深いとか、悪人だということとは関係なく、みな同じように滅びてしまうとイエスは教えました。

神様を中心にして生きる

私はこれまでの日本人と日本文化の優秀性は神様を中心とした生活にあったと思います。もし、日本人が神様を離れるなら、この優秀性を失うだけでなく、日本は滅びへと向かってしまうと思っています。今こそ目先の損得ではなく、自分の利益でなく、神様を中心にして生きるという本来の日本人の生き方を取り戻さなければならないと感じます。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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