日本人の和と公の精神は神様を中心とする生活

日本文化の中に見られる聖書の影響

月曜日のテーマは「日本とイスラエル」です。今日もマーヴィン・トケイヤー氏の本から日本人とユダヤ人の共通点について、いくつか抜粋してお伝えいたします。世界でも日本人とユダヤ人だけが特徴的に持っている共通点があるようです。古代日本に古代イスラエルの人々がやって来て、日本文化の礎を築いたことの証拠だと考えることができ、優れた日本文化の背景には聖書の影響があるということだと思います。以下、マーヴィン・トケイヤー氏の本からの抜粋です。

日本人の和と公

日本人は中国人や韓国人と違って、「和」を重んじた。2004年は、聖徳太子が十七条憲法を公布してから、1400周年に当たった。憲法十七条は「和をもって尊しとす」と説いている他に、第十七条に「重要なことは、全員でよく相談して決めなければならない。全員で決めたことは正しい」と定めている。これは驚くべきことだ。14世紀前といったら、ヨーロッパでも、世界のどこでも専制が行われていた。十七条憲法は、世界で最古の民主憲法である。ユダヤ人と日本人は、ヨーロッパ人や、中国人や、韓国人が垂直な社会をつくってきたのに対して、水平な社会を形成してきた。十七条憲法の各所で、「公(おおやけ)」を強調している。部族性が高く、民族としての結合力が強いのは、公を重んじることに通じる。中国や朝鮮の支配階級は腐敗しきって、民衆を徹底的に搾取した。それに対して、日本では支配階級は善政を施した。ユダヤ人が神の意志に従うことを旨としたように、日本人は公と和を重んじた。中国大陸や朝鮮半島の人々のように、一族の利益を公益に優先させることがなかった。日本人と中国人の違いは、ユダヤ人とキリスト教徒との間の違いと良く似ている。ユダヤ人と日本人は、西と東に遠く離れて現れたというのに、双生児のように似ているところが多いのだ。(本からの抜粋は以上です。)

神様を中心とした生活を取り戻す

このような優れた日本文化の背景には聖書の民である古代イスラエル民族の影響を考えることができると思います。文明と呼べるようなものが世界にまだなかった時代に、イスラエル民族は神様から高い文明を与えられていました。神様を中心とした時にイスラエル民族は大きな祝福を受け、神様が中心でなくなった時に衰退した歴史が旧約聖書の記録に残されています。今こそ日本人は、高い日本文化の根源である、神様を中心とした生活を取り戻して、世界のリーダーとしての責任を果たすべき時ではないでしょうか。それでは、今日も私たち日本人が依って立つべき聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。どうぞ神様を中心にする生活の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書12章54~59節

群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ』と言い、事実そのとおりになります。また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ』と言い、事実そのとおりになります。偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。」

進んで何が正しいかを判断しなさい

差し迫ったパリサイ人、律法学者、体制側の人たちとの対立を前に、弟子たちにその心構えを語られたイエスは、続いて群衆にも言われました。「今のこの時代を見分けなさい。自分から進んで何が正しいかを判断しなさい。」 体制側にいれば安心ということではないですよね。体制全体が神様から離れ、自己中心になって行けば、やがてその体制は崩壊することになるでしょう。間違った船にいつまでも乗っていてはいけないということだと思います。何が正しいことなのか、自分で判断できるし、判断すべきだと思います。

神様の思い、願い、正しさを中心とした生活をする

最後はたとえで言われました。結局、不正は告訴され、裁判官の前で裁かれ、牢に入れられることになる。その刑罰に対する償いが終わるまでは、決して出られないということではないでしょうか。自己中心ではなく、神様の思い、神様の正しさ、神様の願いを中心とした生活をする。それは何かの宗教をやることではありません。時代の風潮に流されないで、自分で何が正しいことなのかを進んで判断して生きる。差し迫った体制側との対立を前に群衆に語られたイエスの言葉ですが、現代の私たちにも当てはめることができるメッセージがあるのではないでしょうか。