日本人の優秀性のルーツには聖書の影響があると思います

本日、ブログ記事100件に達しました!

まずは100件を目指して、と息子に励まされて毎日必死に書いて来ましたが、今日の日を迎えることができました。毎日読んでくださる皆様がいらっしゃらなければ決して継続できなかったと思います。本当に毎日読んでくださり、励ましてくださってありがとうございます。

どんな問題も神様を中心にすることによって解決する

中心がずれていることが原因だということを一人でも多くの人に知っていただいて、中心を神様に戻して、本当の人生を生きていただきたい。それは何かの宗教をやることではない。日本人として当たり前の生活を取り戻すこと。ただただそのことを知っていただきたい。この私の体験と確信を役立てていただきたいという一心で今日までやってきました。でも、まだまだ始まったばかりですね。全ての日本人にこのことを知っていただくまで、これからも皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です

また、私は太古の昔から神様を中心にして生きて来た日本人がどんなに優れた文化を育んで来たのかということも多くの人に知って欲しいと思っています。欧米化することではなく、日本文化を見直すことを考えていただきたいと思っています。以下の記事をご覧ください。

「米軍が度肝を抜かれた自衛隊のエピソード・・・航空自衛隊とだけは戦りたくない」からの抜粋です

◆ある合同演習後、アメリカの誇るトップガン出身のエリートが口をそろえて「航空自衛隊とだけは戦りたくない」と明言したそうです。エリートのプライドを打ち砕かれたか、再教育志願者が続出したとのことです。◆海軍のパイロットが「空自はすぐにキルコール(撃墜許可申請)してくる。あんなところにかなう空軍なんているのか。」と言った。◆実弾射撃演習のためにアメリカに派遣された陸上自衛隊砲兵部隊の馬鹿々々しい程の命中率のために米軍が呆れ果て、「超エリートを集めた特殊部隊を作っても意味がない」と本気で忠告してきた。もちろん陸上自衛隊は通常編成だった。演習を見学していた第二次世界大戦・ベトナム戦争の生き残りの退役将校が「彼らがいればベトコンを一掃できた。犠牲も少なかっただろう」と泣いたという。◆米軍が発射したトマホークの迎撃訓練で、数十発すべてを撃墜した。後半は超低空・対地誘導など隠ぺい技術を活用したにもかかわらず、すべて撃墜。◆イージス艦について「システムの反応が遅いから、手動にできませんか」と言った海上自衛隊員がいる。◆日米の特殊部隊の合同演習。米軍特殊部隊は騎兵隊よろしく大声をあげながら突っ込み、ドアを蹴り破り、テーブルをひっくり返した。一方、自衛隊は無言のまま隊長のハンドサインに従って音も立てずに侵入し、静かに制圧。その様子を見た米軍関係者からは「ニンジャ」と呼ばれた。◆イラク・サマーワ基地の自衛隊が設営したテント群は杭の位置や紐の角度まで寸分違わぬように統一されており、端から見ればロープは全て重なる状態だった。これを見た各国の高級士官は、さすが日本の軍隊は士気が高いと絶賛した。◆不発弾の処理(信管を抜く作業)は特殊部隊以外では世界でも自衛隊しかやっていないという。しかも、失敗例がない。

日本人の優秀性のルーツに聖書の影響があると思っています

以上、自衛隊についての記事からの抜粋でした。古代日本におけるイスラエル民族の影響を考えると、このような日本人の優秀性のルーツには神様を中心として生きる聖書の影響があると私は思っています。それでは今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。神様を中心とした生活の参考にしてください。

新約聖書 ルカの福音書12章13~21節

群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

神様の願い、神様の思いを中心にして生きる人生

貯蓄の必要はないということではないと思います。「いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではない」ということがポイントだと思います。「いのち」とは人生の喜び、本当の幸せということでしょう。財産があれば良いということではなく、神様の前に富んだ人になること。そこに本当の人生の喜び、幸せがあるということでしょう。神様の願い。神様の思い。それを求め、そこに生きる人生。それが本当の喜びであり、本当の幸せだと思います。そういう生き方が日本人の優秀性につながっていると私は思います。