日本文化の優秀性は神様を中心とする生活によってもたらされた

このようなブログ記事を見つけました。要約してご紹介いたします

もちろん、日本も多くの問題を抱えています。しかし、日本社会は外国社会に比べてはるかに安全で安定しています。外国で自販機を設置したら、自販機ごと盗まれるでしょう。店内や路上でボケーッとしてたら、たちまちハンドバックをひったくられるでしょう。日本では道路、歩道、公園がきれいに保たれています。道路脇にに空き缶やゴミ屑を投げる歩行者やドライバーもいますが、それは日本人としては最低レベルの部類で少数派です。日本では電車に財布や定期を置き忘れても、しばしば返ってきます。プラスチック製のクサリで進入禁止にしているだけで、誰も車や自転車で中に侵入しようとはしません。外国なら黄色いクサリが盗まれます。深夜、女性が一人で東京を歩いていても危険ではありません。日本は太古の昔から高い文明が存在し、意識も高く、知能も高く、秩序や規則を守り、勝手な行動を取るよりは協調性と団体行動を重んじ、思いやりがあり・・・など、色々言われますが・・・本当のところは、なぜでしょうか?一体、日本人の魂はどこから来たのでしょうか。

古代日本におけるイスラエルの影響

このような日本の特異性は古代日本に渡来した古代イスラエル民族や秦氏と名乗るイエスを人となった神様とするユダヤ系の人々の影響が大きいと私は考えています。世界にまだ文明と呼べるようなものがなかった時代に、神様はイスラエル民族を選び、神が完全であるように、あなたがたは神の民らしく完全でありなさいと命じられました。その内容は旧約聖書の中に記録として残されていますが、その驚くほど高い倫理観を持った古代イスラエル民族がはるか東の果てまでやって来て、日本にその文明を築きました。海に囲まれた立地条件も幸いし、その影響は今も色濃く残されていると考えられます。もちろん、完全ではありませんが、日本人と日本文化の優秀性にこそ、神様が本来意図した人間のあるべき姿があると私は思います。それは神様を中心にした生活によってもたらされたのです。私たちはこれを大切にしなければならないと思います。

日本文化の源流は神様を中心とした生活にあります

聖書の神様は私たち日本人が太古の昔から崇めて来た神様です。神様を中心とした生活をすることによって、日本人は今も世界が驚くような文明を築き上げて来ました。ですから、私たちはいたずらに欧米の価値観を受け入れることではなく、この日本文化を大切にしていきましょう。どうぞ毎日時間を決めて、神様に思いを向けて祈り、私たちの魂の源流である聖書を読んでください。今、日本人として聖書を読む時が来ているように私は思います。今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。どうぞ参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書11章1~4節

「さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。『主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。』 そこでイエスは、彼らに言われた。『祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名(みな)があがめられますように。御国(みくに)が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』』」

イエスが弟子たちに教えた祈り

これは私たちにとっても大変参考になるのではないでしょうか。「祈るときには、こう言いなさい」と書いてありますので、これをそのまま言っても良いと思います。そこから教えられたり、感じたりすることもあると思います。「父よ。」 神様に向かって、「父よ。」と呼び掛けなさいということでしょう。ちなみに、私は「天の父なる神様。」と呼び掛けることが多いですが、「天のお父さん。」と祈る方も見たことがあります。「御名」とは神様のお名前。神様のお名前があがめられますように。神様ご自身があがめられますようにということでしょう。「御国」とは神様の国。つまり、神様が中心である世界ということでしょう。神様があがめられ、神様が中心となる世界。そこに全ての問題の解決があり、それが人間本来の姿です。ここから日本文化の優秀性が生まれて来たと私は思います。まず、こうして神様を中心とするお祈りをしましょう。

日ごとの糧を毎日お与えください

貯蓄とか、働いて収入を得るとか、もちろん、そういうことも大切だと思います。でも、それが全てということになると、私たちの不安は無くなりません。目には見えませんが、私たちの生活を支えているのは実は神様だということをいつも意識していることは大事なことだと思います。それは一日ごと、毎日です。いつもいつも見えざる神様の守りを意識することが大切だと思います。「私たちの罪をお赦しください。」 足りない事。不完全な事。悪いと分かっているけど、やったこともあるでしょうね。私たちには赦しが必要です。神様に赦しを求めましょう。そして、人を赦しましょう。「赦せるようにしてください」ではなく、「赦します」と祈りの中できっぱりと宣言するようにとイエスは教えています。「私たちを試みに会わせないでください」 「試み」とは「試練」「誘惑」。守られる様に神様に求めましょう。やはり、この祈りは、このまま自分の祈りとしても良いのではないかと思いました。神様を中心とするために、大変有益なお祈りの言葉ではないかと思います。