結婚の悩み相談。その回答で本当に大丈夫?

悩む女性

本当に幸せな結婚について考えている方へ

土曜日のテーマは「恋愛、結婚」です。インターネットで「結婚の悩み」と検索すると、数え切れない程のサイトが出てきますね。その回答を見て、これで本当に幸せな結婚ができるのだろうかと思われた方は私の回答も読んでみてください。本当に幸せな結婚をしたいですか。もちろん、そうだと思います。本当に幸せな結婚がここにあります。

結婚に妥協は必要ですか

この質問に既婚者は必要と答え、未婚者は不要と答える人が多かったそうです。内面は妥協せず、それ以外は理想と違うところがあってもいい、くらいのスタンスが結婚への近道となる可能性が大きいとそのサイトでは言っていました。まあ、結婚年齢がどんどん遅くなっているので、そういう考え方もあるのかもしれませんが、そもそも何のために結婚するのかという点を考えないと、後で良かったのか悪かったのか判断することもできないのではないかと私は危惧します。

私のポイント

ポイントは妥協が必要かどうかということではなく、求めている理想の中身を吟味することだと思います。外面、内面を問わず、それが単なる自分の好みであれば、そもそも結婚の目的は何なのでしょうか。どんなに相性が合うと思う人でも、完全に一致する人など世の中にはいないでしょう。そういう人を探すのではなく、人生の目的を共有して、協力し合う関係を持つことができる人なのかどうかということが大切ではないでしょうか。その点においては妥協すべきではないと私は思います。

ズバリ、結婚の決め手は?

その回答は、「直感」(29歳・既婚)、「ストレスが少ないこと」(34歳・既婚)、「清濁併せのむ覚悟」(36歳・既婚)。これはまさに人によって千差万別!未婚組からは「年齢」「ときめき」などの回答も寄せられました、とありました。だいたい皆さんそんな考え方なのでしょうか。皆さんはこれをどう思いますか。これで本当に大丈夫なんでしょうか。これではうまくいくかもしれないけど、うまくいかないかもしれないという印象を私は受けます。もっと確実な結婚があると私は思います。

それは意志と決断による結婚です

この人となら人生の目的を共有できる。お互いにその目的を果たすために協力し合うことができる。お互いにお互いをそのような相手であると思うのであれば結婚すべきだと私は思います。それは意志と決断によるものです。それでも困難が全く無くなる訳でもないでしょう。当然だと思います。結婚とは、そのような時にこそ二人で力を合わせるという約束をすることだと思います。

結婚を神様を中心に考える

それは二人の間でなされる約束ではなく神様の前にそれぞれがする約束であり、生涯その約束をよく果たすことができるように互いに助け合うことに他ならないと思います。どうぞ神様を中心に結婚を考えてみてください。そこに確かな結婚があると私は思います。それでは、今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。

新約聖書 ルカの福音書17章1~2節

イエスは弟子たちにこう言われた。「つまづきが起こるのは避けられない。だが、つまづきを起こさせる者はわざわいだ。この小さい者たちのひとりに、つまづきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

イエスは弟子たちに何を言いたかったのでしょうか

パリサイ人、律法学者との対決が表面化する中で、イエスには弟子たちに教えたいことがあったのでしょう。イエスは何を教えようとしたのでしょうか。また、弟子たちはこのイエスの言葉をどう受け止めたのでしょうか。想像するしかありませんが、パリサイ人、律法学者の責任は重いということを言っているのではないかと私は思いました。

パリサイ人、律法学者の責任は重い

「つまづき」とは、神様と人々の間の障害となってしまうもののことではないでしょうか。たとえば、私たちは皆、生まれながらに自己中心的な者だと思いますが、この自己中心が神様を中心にして生きることの障害となってしまいます。そういう事が起こることは避けられないでしょう。でも、パリサイ人、律法学者といった宗教家が間違ったことを教えて、人々を神様から遠ざけてしまうということになるなら、そのような者は死んだ方がましだとイエスは言ったのではないでしょうか。つまり、その責任は重いということではないでしょうか。

宗教家の責任は重い

今の私たちに適用して考えるなら、牧師や教会の指導者の責任は重いということではないでしょうか。もし、牧師や教会の指導者がキリスト教という宗教や神学的な事に熱心になるように人々を指導し、生きて働いておられる神様を中心にして生きることから遠ざけてしまっているなら、その責任は重大だと思います。どうぞ宗教に熱心になるのではなく、生きて働いておられる神様を愛して、神様を中心にして生活すること。隣人を愛して生きること。ここに思いを向けていただきたいと思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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