日本人としての誇り
火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です。それがどんなに優れているか知っていただき、日本人としての誇りを持ち、日本文化を大切にしていただきたいと思います。そして、それが聖書の信仰から来ているものであり、神様を中心にすることによることを知って欲しいと思っています。今日も「外国人の日本人評」からご紹介いたします。(◆はサイトからの引用、◇は私のコメントです。)
すべてを受け入れる日本人の姿
◆安政の大地震はM8.4だった。大津波で3万人が死んだ。しかし「日本人は落胆もせず、雄々しく仕事に取り掛かっていた」と『ペリル提督日本遠征記』にある。横浜の大火に遭ったエドワード・モースは「老いも若きもまるで祭礼でもあるかのように微笑すら湛えて復興に歩みだしていた」と、すべてを受け入れる日本人の姿を表している。
これは神様を中心とする信仰がなければできないことでしょう
◇東日本大震災のような大災害でも暴動がほとんどなく、秩序ある日本人の姿に世界が驚嘆したことは良く知られていますが、ここには災難をも受け入れる日本人の姿が記されています。これこそ、全ては神様の支配の中で起きていると受け止める信仰がなければできないことだと私は思います。当然、人間の思いを中心にするなら悲しみもあるでしょう。しかし、日本人は意志と決断により、神様を中心にして生きることを選び取って来たのだと思います。何と誇り高い生き方ではないでしょうか。
西洋を真似る必要はない
◆日本の開国を進めた初代・駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスの言葉。「私は時として、この日本を開国して外国の影響をうけさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる」◆ラフカディオ・ハーンの言葉。「日本には美しい心がある。なぜ、西洋の真似をするか」
日本に魅せられる外国人
◇日本に魅せられたラフカディオ・ハーンがこのように言うのは分かる気もしますが、日本の開国を進めたアメリカ大使までもが、日本に西欧文化を持ち込むことを躊躇していることは心に留めるべきではないでしょうか。日本人はあまり気が付いていないのですが、日本に来た外国人は一様にその高い文化に魅せられているようです。そのことを良く理解し、誇りを持つと同時に、それを失わないようにすることが大切だと思います。
神様を中心とした生活を取り戻す
このような世界にも類を見ない日本文化は神様を中心とした生活によってもたらされたものだと私は思います。西欧ではなく、日本文化を見直し、その根源である神様を中心とした生活を取り戻すことが急務であることを全ての日本人に知っていただきたいと切に願っています。それでは、今日も聖書の続きを読んで、神様を中心とした生活のための参考にしていただきたいと思います。聖書は日本人の精神のルーツだと思います。
新約聖書 ルカの福音書18章18~23節
またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。
いつも、どんな時も神様が中心になっているのか
この人は神様に背を向けた人生を送っていた訳ではなさそうです。でも、何か足りないものを感じていたのでしょう。イエスに「尊い先生」と呼び掛けると、「尊い方は神様だけだ」と言われました。神様と言いながら、神様が中心になっていない部分があることを見抜かれていたのでしょう。「私のことを尊いというのであれば、全ての部分で神様を中心とした生活をしなさい」と言われたのではないでしょうか。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがある」と言われました。
財産が中心ではいけない
必ずしも財産を持っていてはいけないということでもないと私は思いますが、この人の場合、財産が中心、財産が頼り、財産が安心の土台になって、財産があることが却って彼の人生に影を落としていたのではないでしょうか。それで、全ての領域で神様を中心にすることができず、まだ何か足りないものがあると感じていたのではないでしょうか。財産についても、神様を中心にして、神様の思い、神様の願いのために使えばいのちに繋がると私は思います。
中心は何でしょうか
皆さんにとっては、何が中心でしょうか。それは人によって違うかもしれませんが、中心は一つしかありません。中心が二つあれば回らないように、神様と何かという訳にはいかないということだと思います。自分の生活、価値観、人生のすべての領域において、神様を中心にするとはどういうことなのか捉え直してみましょう。それが永遠のいのちだと思います。