偉人達の言葉
日曜日のテーマは「人生の目的」です。まず、人生の目的に関する偉人たちの言葉をいくつかご紹介して、私のコメントを加えたいと思います。実にいろいろな考え方がありますね。皆さんはどの考え方に共鳴しますか。
人生は分からないという考え
◆いくつになってもわからないものが人生というものである。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。(松下幸之助)◇分からないのに、分かったようなつもりで歩むのは確かに危ないでしょうね。正直と言えば正直な人だと思いますが、松下幸之助のような人でも分からなかったんですね。
でもそれじゃあしょうがない
◆どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまで行けるものではない。(ゲーテ)◇人生には明確な目的が必要だということですね。でも、それは何かということについてはどう考えているのでしょうね。◆夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。(坂本龍馬)◇自分の経験から、だから大丈夫だ、安心して夢中になって日を過ごせと言っているのか、それともそうだったらいいなあという希望的観測なのか。どちらなのでしょう。
生きる意味などないという人たち
◆生きる意味や価値を考え始めると、我々は、気がおかしくなってしまう。生きる意味など、存在しないのだから。(フロイト)◆人生それ自体に意味などない。しかし、意味がないからこそ生きるに値するのだ。(カミュ)◇もうあきらめちゃったみたいな人たちも確かにいるでしょうね。それでも生きる意味はあるんだとカミュは言っているようですけど。
他人の為に生きる
◆誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。(アインシュタイン)◆万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない。(ガンジー)◆人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、「他人のために、いまあなたは何をしているか」である。(キング牧師)◆人生の唯一の意義は、人のために生きることである。(トルストイ)◆人生は刺激に満ちた仕事ですが、もっとも刺激的なのは、人のために生きるときです。(ヘレン・ケラー)◆人生の目的は奉仕であり、慈悲と他者を助ける強い意志を示すことである。(シュバイツァー)◇やはり、このように言っている人はたくさんいますね。神様は人間をそのために造られたと私も思います。
誠実であること
◆わたしたちは、成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのです。(マザー・テレサ)◇確かに誠実であることもまた神様が人間に与えた目的だと私も共感します。誠実であるために損することがあっても、それで良い。人生の目的とはそういうものだと思います。
イエスの言葉
これまでも、人生の目的について考える時に、この律法の専門家とイエスのやりとりを記した新約聖書の記録を紹介してきましたが、今日も取り上げたいと思います。もう暗記しちゃったかもしれませんね。申し訳ありません。もう一度読んでみてください。
新約聖書 ルカの福音書10章25~37節
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」 するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
イエスの聖書知識をためそうとした律法の専門家
この律法の専門家はイエスをためそうとして言ったとありますので、イエスがどの程度聖書知識を持っているのかためそうとしたのでしょう。「何をしたら永遠のいのちを受けることができるのか」と質問しました。イエスは彼の問題を見抜いていて、その質問には答えないで、彼を正しく導こうとされたのだと思います。「あなたは聖書の専門家として、どう理解しているのか」と聞かれました。彼は「神様を中心にすること。そして、隣人を愛すること。」と答えました。
理屈ではない。それを実行してみなさい。
イエスは「そのとおりです」と答えました。ポイントは「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます」ということではないでしょうか。彼は理屈では説明できるのです。聖書の専門家ですからね。知識は持っている。でも、実際にはそれを実行して生きていない。そこが問題なんだと思います。
まだ理屈で考えている宗教家
それでも、彼は自分の正しさを示そうとして「私の隣人とは誰か」と聞きました。彼はまだ理屈でしか考えていない。そこでイエスは分かりやすいたとえ話をした訳です。祭司もレビ人も宗教家です。でも、彼らは助けない。ユダヤ人が見下しているサマリヤ人だけが、かわいそうに思って助けたという話です。これは難しい神学的な話ではありません。子供でも分かる話です。ポイントは「あなたも行って同じようにしなさい」ということ。理屈ばかり言ってないで、実行しなさいということだと思います。
やっと最近分かるようになったのかな
私自身、神学校で聖書を学んで、9年間キリスト教会の牧師もして来たのに、本当にただただ神様を中心にして、隣人を愛して生きることなんだ、理屈じゃないんだ、神学じゃないんだ、と思うようになったのは、お恥ずかしながら、本当に最近のことです。50歳もとうに過ぎて、これまでのいろいろな経験もあって、そういうことが少し分かるようになって来たということなのかもしれません。
とにかくやってみることが大切
だから、これは神学的な話ではないのです。これが聖書の教えだ、ということでもないと思うのです。ましてや、キリスト教の話ではありません。人間としてどう生きるのかということだと思います。イエスに「あなたはどう理解しているのか」と聞かれて、この律法の専門家はこう答えましたが、たとえこのような答えでなかったとしても、大きく神様の思いから外れていなければ、きっとイエスは「そのとおり。」と言って、「そう思っているんだったら、それを実行しなさい」と言ったのではないかと想像します。
大切なことは神様を中心にして実際に生きること
ジャマイカのレゲエのミュージシャンの言葉ですが、そうだなあと思ったので紹介します。◆どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。それは、自分自身で見つけるものだ。(ボブ・マーレー)◇それから英国の小説家の言葉です。◆人生の秘訣とは、自分でそれを見つけないと意味がないのだ。(サマセット・モーム)◇そして、最後にデンマークの哲学者の言葉。◆人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。(キルケゴール)