「ケンカをしたら開けなさい」9年間開けなかった結婚祝い

今、とても話題になっている話

土曜日のテーマは「恋愛、結婚」です。今日は『「ケンカをしたら開けなさい」9年間開けなかった結婚祝い、中身は・・・』をご紹介させていただきます。今、とても話題になっているようです。このような内容です。

「最初の喧嘩をするまで、箱を開けてはいけません」

アメリカ・ミシガン州に住むキャシー・ガンさんとブランド・ガンさんは、9年前にもらったある結婚祝いを、開けずにクローゼットの中にしまったままにしていた。それは、キャシーの大叔母アリソンさんからの結婚祝いだった。白い箱のプレゼントには、こんな封筒が添えられていた。「最初の喧嘩をするまで、箱を開けてはいけません」 9年間、ガンさん夫妻は喧嘩をしなかった訳ではない。ではなぜ2人は箱を開けなかったのだろう。

箱を開けなかった理由

箱を開けなかった理由を、キャシーさんはこう説明する。「正直に言うと、私たちは2人とも箱を開けないようにしていました。箱を開けたということは、結婚生活が修復不可能になったことを意味すると感じていたからです。だから、頑固に箱を開けませんでした。箱は私たちに、状況を考え直すよう仕向けたんです。本当に、今箱を開けるべき時なんだろうか? これは私たちにとって最悪の喧嘩だろうか? もしこの後にこれよりひどい喧嘩をして、その時に箱がなかったらどうしよう?!?」

その夜、ふたりは話し合って結婚祝いを開けることにした

箱の中に入っていたのは、手書きメッセージに包まれた現金が2つ、ワイングラス、花瓶、入浴剤だった。メッセージの1つはキャシー宛てで、このお金でピザを買い、お風呂の用意をするよう書かれていた。もう一つはブランドン宛てで、花とワインを買うよう書かれていた。

大切だったのは箱の中身より、箱そのものの存在だと気付いた

キャシーさんは、「2人にとって箱の中身より大切だったのは、箱そのものの存在だった」と説明する。「9年(それと3回の引っ越し)の間、箱はいくつものクローゼットの中でほこりをかぶっていました。しかし箱は私たちに、我慢すること、相手への思いやり、妥協すること、そして忍耐を教えてくれたのです」「私たちは、お互いの親友、パートナー、チームメートになることで、絆を強めてきました。そして今日、私たちは箱を開けることにしました。なぜなら、ついに気付いたからです。強く結ばれた家庭を築いていくための道具は、箱には入っていない。それは私たちの中に存在する、と」

結婚生活で一番重要なのは、良いパートナーになること

9年の間に、ガンさん夫妻には現在6歳になる娘と3歳になる息子が加わった。キャシーさんはハフポストUS版に、「結婚生活で一番重要なのは、良いパートナーになること」と語った。「人生には、本当にたくさんの紆余曲折があります。心から信頼したり、相談したり、頼ったり、一緒に泣いたりできる相手なしでは、多くの問題に対処するのは難しい。ブランドンはとても誠実な人です。どんなに苦しい時でも、私の味方をしてくれます。そして私は彼の味方です。どんな時でも味方をしてくれる人、助けてくれる人がいれば、とても生きやすくなります」 (記事の引用は以上です。)

どんな時も味方となる

心に響きますね。それは意志であり、決断だと思います。敢えて相性の悪い人と結婚して、そのハードルを高くすることもないと思いますが、結婚は相性だけでうまく行く訳ではないと思います。神様を中心にして、人生の目的を共有して、良いパートナーとなること。どんな時でも味方となること。そのことを決意して始めるものであり、結婚生活を続けることでその絆を強めることであること。このブログでもお伝えして来たことを強く証明してくれる内容でしたのでご紹介させていただきました。共に神様を見上げて手を取り合って前進してください。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 ルカの福音書18章9~14節

自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

神様の前に正直に自分の弱さを認めて生きる

もちろん、正しい生活をすることが悪いということではないと思います。問題は、自分は正しい人間だと考えて、他の人々を見下しているという心の態度だと思います。たとえ人間的には立派に見えたとしても、神様はその心の高ぶりを見ておられるということでしょう。人からの評価ではなく、この神様の前に自分を低くして生きることが大切だと思います。自分の弱さ、罪を認める人、そのように自分を低くする人を神様は正しいと認めてくださるということだと思います。いつもこの神様を中心にして、この神様を意識して歩むことが大切ではないでしょうか。