聖書信仰と日本文化

欧米文化が良いのか

火曜日のテーマは「日本人と日本文化」です。皆様の中には聖書に関心を持たれ、教会に通われている方もいらっしゃると思います。中には聖書の信仰は欧米文化を良しとし、日本文化は偶像礼拝の文化だから避けるべきなのかと悩まれている方もいらしゃるのではないでしょうか。

日本文化に聖書の信仰の本質

私は欧米のキリスト教国と言われている国の文化よりも、むしろ日本文化の中にこそ聖書の信仰の本質が引き継がれていることを皆様に知っていただき、欧米化することではなく、日本文化の優れた点を大事にすることこそが聖書の信仰であることを知っていただきたいと思っています。

日本人の良心

それはあなたが日本人であれば、すでにあなたの良心に刻まれているものであり、キリスト教的な教えよりも、むしろ自分の良心の声を聞いていただきたいということです。キリスト教の教えは聖書ではなく、欧米の文化から来ている部分が大いにあると思います。

日本人は腰が低い

以下は「外国人が見た日本の良いところ」というサイトからの引用です。治安が良いとか、清潔とか、時間に正確などは良く言われますが、その他に目に留まったコメントをご紹介します。◆日本人は腰が低い。日本人の気質として、欧米諸国の人からはなかなか理解されにくい部分ではありますが、日本好きで、日本ツウの外国人は日本人の低姿勢を好む人が多いです。例えば、私の旦那はフランス人の高慢さや思い上がった態度を嫌い、その反対にある日本人の腰の低さを好んでいます。相手を尊重する日本人の腰の低さは欧米諸国にはない日本人の良さなのかもしれません。(出典:日本好き外国人が思う 『日本人のいいところ』 ベスト5)

礼儀正しい

もう一つご紹介します。◆「世界最良の観光客」という調査で、日本人は2007年から3年連続でトップとなった。世界最大のオンライン旅行業者エクスペディアが世界の4千軒以上のホテルに聞いた結果という。「日本人は行儀のよさ、礼儀正しさ、部屋を清潔に使う、騒がない、などをはじめ総合で断トツの1位である。(出典:外国人の日本人評/昔から変わらぬ美点  【賢者の説得力】

日本に受け継がれる聖書の心

実は、私自身これまでキリスト教の教えには熱心だったかもしれませんが、その分、日本文化に否定的なところがあった自分を反省しています。皆さんはそういうことにならないようにしてください。今、日本人と日本文化は素晴らしいとしみじみと感じています。もちろん、日本人も日本文化も完全ではないでしょう。でも、キリスト教文化よりもむしろ日本人と日本文化の中にこそ聖書の心が受け継がれていることを思います。それでは、今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみたいと思います。何か皆様の参考になれば幸いです。

新約聖書 ルカの福音書17章11~19節

そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」 彼らは行く途中できよめられた。そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

神様に感謝する人は少ないのか

ツァラアトとは重い皮膚病のことで、汚れた者として人々から隔離された生活を余儀なくされていました。これはたとえでもなく教えでもありません。これは事実の記録ですが、ここから考えさせられることもあると思います。日々、神様の恵みをいただいていながら、神様のところに来て、神様を中心にして、神様に感謝する人は確かに少ないのかもしれません。10人のうち1人も帰って来ないということもあるかもしれません。そんなことにならないようにしたいですね。いつも神様に感謝して歩みましょう。

それはサマリヤ人だった

サマリヤ人はもともとはイスラエル民族ですが、他民族との混血によって血の純潔を守らないということで、ユダヤ人からは差別されていました。でも、帰って来たのはサマリヤ人でした。ユダヤ人は宗教に熱心で、自分たちの方が神様に近いと思って、サマリヤ人を見下していたと思います。でも、帰って来たのはユダヤ人ではなかった。考えさせられますね。本当に大切なことを見失わないようにしたいですね。