日曜日のテーマは「人生の目的」です
まず、稲盛和夫氏の「人生の目的」と題するこの文章を読んでみてください。その後で私の考えを述べたいと思います。
「人生の目的はどこにあるのでしょうか、もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努める。その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)、つつましき求道(ぐどう)に、私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。」
成長への欲求
確かに私たち人間には成長への欲求が与えられていると思います。だから、成長そのものに喜びがあります。それは正しいことだと私も思います。成長に反するようなこと、稲盛氏の言葉で言えば、心を高めない、むしろ低めてしまうようなことはすべきではないと思います。そして、世の中には自暴自棄になって、そんな人生を送っている人もいるのかもしれません。だから、自分を高める人生を送りましょうと呼び掛けることは良い事だと思います。
でも、それが人生の目的なのでしょうか
皆さんはどう思いますか。自分を高めて、それでどうなるのか。何のために自分を高めるのか。それを人生の目的と言うのではないでしょうか。そこがはっきりしないと、やっぱり自分を高めることが人生の目的なんだと言われても、何となく分かったような分からないような思いになるのではないでしょうか。
これが人生の目的です
旧約聖書の創世記にあるアダムとエバの話を読むと、私たち人間は神様によって意義と目的を持って造られた存在であることが分かります。だから、神様を中心にして生きること。神様の思い、願いを中心にして生きること。それが人生の目的だと言う事ができると思います。稲盛氏は正しく生きることが大切だということも言っていますが、私もそう思います。なぜなら、それが神様の願いであり、私たちはそのように生きるために造られたからだと思います。
自分の思いではなく
どうぞ、神様を中心として生きることを求めてください。自分の願いや思いではなく、神様の願い、思いを求めてください。それが私たちの生きる意味だと思います。皆様の中にそうやって聖書を読み、すでに教会に通われている方もいらっしゃるかもしれません。でも、クリスチャンにはなれないと悩んでいる方もいるのではないでしょうか。安心してください。大切なことはクリスチャンになることではありません。神様を中心として生きることです。そこをはっきりと区別してください。それでは、今日も聖書の続きを読んで、私が考えたことを書いてみますので、神様を中心として生きることを考えてみてください。
新約聖書 ルカの福音書17章3~4節
気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
悪い行いを戒める
これは弟子たちに語られたイエスの言葉の続きです。この場合の「兄弟」というのは、文字通り「兄弟」だけでなく、同胞という意味だと思います。そこには家族はもちろん、友人も含まれるでしょう。もし、いけないことをしていたら、「それはいけないことではないですか」と戒めてあげてください。なぜなら、悪いことをしながら、つまり、神様の思いに反することをしながら、幸いな人生を送ることはできないからです。本当にその人を愛しているのであれば、その人の幸せのために、悪い行いを正してあげることは愛だと思います。ただし、言い方は愛をもってお願いしますね。
赦しの大切さ
もう一つは「赦し」ですね。七度というのは文字通りというよりも、何度でもという意味だと思います。そして、「悔い改める」というのは、ただ、「ごめん、ごめん」ではありません。自分の間違いを認めて、二度としないと決意することです。そうしたら、何度でも赦しなさいということでしょう。赦すことは2つの意味で重要だと思います。1つは自分のため。憎しみの感情は身を滅ぼします。赦すことによって憎しみから解放されると思います。もう一つは、その人のため。誰でも「赦し」を必要としていると思います。人は赦されて、また正しく生きる力が与えられると思います。自分だけでなく、私の周りにいる全ての人が、そうやって神様を中心にして生きることができること。そのために私たちは今日生きているのだと思います。これが人生の目的だと思います。