人を幸せにする人生は幸せ

「たったの5分でわかる人生の目的を知るための5つの質問」より

日曜日のテーマは「人生の目的」です。生きることに喜びがあり、幸せを実感する人生を歩みたいと願われていると思います。それは人生の目的と深い関係があります。アダム・レイプツィという人の「たったの5分でわかる人生の目的を知るための5つの質問」の内容に共感しましたので、ご紹介したいと思います。共感したのは、その5つの質問と言うよりも、結論として、「どの分野でも成功している人は、自分自身のことよりも、他の人にできることに集中しています。」というところです。

人を幸せにしようとする人は幸せを実感する

自分の人生を幸せだと感じない人の特徴は、思いが自分に向かっている、内向的であるが、幸せを実感している人は共通して、その思いが他人に向いている、外交的だと指摘しています。私もその通りだと思います。それは性格のことではなく、他の人を幸せにしようとしている人は幸せを実感するということだと思います。

それが神様の思いだからだと思います

自分の思い、自分の願い、自分の要求を満たせば幸せになれると勘違いしている人は多いように思います。しかし、このアダム・レイプツィという人も言っているように、そのような人はいつも不平不満を持ち、自分は不幸だと感じていることが多いようです。自分が中心になっているからだと思います。私たちは自分の思いをや願いを満たすために生まれて来たのではなく、人々の喜びのため、人々の幸せのために生まれて来たからだと思います。それが神様が私たち一人ひとりに与えてくださっている人生の目的だと私は思います。

「何をしたら永遠のいのちを受けることができますか」

ですから、いつも神様を意識して、神様の思い、神様の願いを心の中心に置くようにすると良いと思います。自分の思いや自分の願いが中心にならないように気をつけましょう。以前にも書きましたが、新約聖書の中に、ある律法の専門家がイエスの所に来て、「何をしたら永遠のいのちを受けることができますか」と質問したことが書かれています。「永遠のいのち」とは、本当の人生と言っても良いと思いますし、幸せな人生と言っても良いかもしれません。

「神様を愛し、隣人を愛すること」

イエスは質問には直接答えず、「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と聞きました。彼は「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ、また、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ、とあります。」と答えると、イエスは「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と教えました。

これが人生の目的

心から神様を愛して、そして隣人を愛して生きる。これが人生の目的だと思うと答えた律法の専門家に、イエスは「そのとおりです。それを実行しなさい」と教えました。それは理屈ではありません。何かの宗教の教えではありません。私たちはそのように造られているのです。その証拠に、そのように生きる時に、私の心は幸せを実感し、私の人生はこれで良い、人間て素晴らしいと感じます。どうぞ、いつも神様を意識して、神様の思いを中心にして生活してみてください。それでは今日も聖書の続きを読んで私が考えたことを書いてみますので、神様を中心とした生活の参考にしていただければと思います。

新約聖書 ルカの福音書15章1~7節

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

神様はどんな人でも神様の国に招いてくださっている

当時、ユダヤはローマの支配を受けていました。ローマはユダヤ人自身にユダヤ人からの税金を集めさせ、ローマに収めさせたのです。彼らは取税人と呼ばれ、ユダヤ人の間では裏切り者のように考えられていました。また、罪人とは文字通り犯罪者という意味だと思います。イエスはそのような人も受け入れて、食事までしました。神様はこのように、人間の評価とは違って、どんな人でも分け隔てなく、神様の国に招いてくださっていることを思います。

神様も喜んでくださる

彼らはどんなに嬉しかったことでしょうか。彼らは喜んでこれまでの生活を改めて、神様を中心にしたのではないでしょうか。そんな彼らを神様ご自身がどれだけ喜んでおられるのかということをイエスはここで言っていると思います。どんな人でも神様の国に招かれています。神様の国に招かれていない人はいません。だから、神様を中心とした生活をするなら、私たち自身が大きな喜びを感じますが、それだけでなく、神様ご自身もまたそんな私たちをこれほどまでに喜んで下さるということだと思います。神様を中心とした生活を求めましょう。