おカネの使い方と人生の目的

おカネの使い方で、その人が分かる

日曜日のテーマは「人生の目的」です。「カネ遣いでバレる『生涯二流の人』の4大欠点」という記事の中に、「『何におカネを使っているか』を見れば、その人が分かる」と書いてありました。なるほど、と思いましたので、ご紹介したいと思います、皆様のおカネの使い方をチェックしてみてはいかがでしょうか。

「あなたがどんな人か」が浮かび上がってくる

あらゆる世界中の大金持ちのおカネの使い方を見てきた私が断言できるのは、おカネの使い方には自身の「価値観」や「精神の成熟度」「人生の優先順位」がもろに反映されてしまうということだ。

あなたは将来のことを考えずにすべて、自分の洋服と六本木のクラブ代に費やしているかもしれない。趣味のカメラにボーナスをすべて突っ込み、実家の老いた両親にはその墓代を出すまで、何か買ってあげようという気が一切ないかもしれない。恐ろしいことに、自分はハワイに行くが、親は熱海すら連れて行ったことがないかもしれない。

はたまた、あなたはひそかに善行を働き、収入の10%を、日本の税制がおかしくて寄付の税額控除がないのに、見上げたことにフォスターペアレントに寄付して世界の貧困にあえぐ子供達を支援しているかもしれない。

ここで言いたいのはただ一言。「自分がどういう人か」「他人がどういう人か」を知りたければ、「何にカネを使っているか」という事実を見ると一目瞭然だということだ。もちろん、「自分のことで精いっぱい」という苦しい状況にいる方はまったく別だ。しかし、比較的おカネに余裕があるのに、自分のおカネの使い道が、高級レストランと宝飾品と、港区にある高級マンションの家賃か住宅ローンしかない方に申し上げたい。

あなたはこれからも、自分を物質的に満たしはするが、「自分で稼いだおカネを、自分以外のより大きな目的のために使う」ようなことは、まずもってしないであろう(それも個人の自由な生き方の選択ではあるのだが)。(記事からの引用はここまで。)

お金も一つのバロメーターでしょう

もちろん、お金だけではなく、何に時間を使っているかということにも表れるだろうと思います。でも、お金は一つのバロメーターかもしれませんね。皆さんはいかがでしょうか。一度チェックしてみるのも良いのではないでしょうか。

あなたの心はどこにありますか

イエスが弟子たちに教えて言われた言葉にこういう言葉があります。「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」 それでは、今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 ルカの福音書19章11~28節

人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。

それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。

さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。さて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』

二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』 もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』

主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを刈り取り、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』

そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。

ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」 これからのことを話して後、イエスは、さらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。

神の国はすぐに現れるのではない

この身分の高い人とは、イエスご自身のことを言っているのではないでしょうか。イエスがエルサレムに入るとすぐにそこで王様になるのではなく、十字架にかかり、この世界を一旦離れる。再び神の栄光を帯びてこの世界に戻って来られるのですが、この世界は、その間、十人のしもべに十ミナを与えて商売をしなさいと命じるようなものだと言っているのではないでしょうか。

人生の目的

一ミナとは100日分の労賃とありますので、1日1万円として100万円です。1人100万円ずつ与えられて、これで商売をするようにと命じられたようなもの。それがイエスのしもべとしてのこの地上の生活だと言っているのではないでしょうか。それは人生の目的と言えるのではないでしょうか。

神様から与えられている人生の目的

もちろん、このお金と商売とはたとえだと思います。単に商売を成功させるということではなく、神様から与えられている仕事を忠実に行うこと。そのために私たちはこの地上で生きているということだと思います。やがてイエスは神の栄光の姿でこの地上に帰って来られるということだと思います。その時、よくやった。良いしもべだと言われる喜びはどんなに大きなものでしょうか。ただ自分を満足させる生活ではなく、神様から与えられている人生の目的を中心にして、忠実に歩むところに大きな幸いがあるということだと思います。

警告!

それにしても、「私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。」という言葉には注意しなければなりませんね。それはイエスを憎んだパリサイ人、律法学者、体制側の人々のことを指して言っているんだと思いますが、私たちもそのようにならないように、十分に注意したいと思います。