神様の願いを求めて生きること
日曜日のテーマは「人生の目的」です。それは神様を中心とした生活をすることだとお伝えしています。神様が意義と目的を持って私たちを造られたのですから、私たちの存在理由、生きる目的は私たちの中にではなく神様の中にあるということだと私は思います。だから神様を中心にしないと人生の目的が分かりません。私たちは自分が願う生き方をするのではなく、神様が願う生き方をすることが大切だということだと思います。
では、私に対する神様の願いは何でしょうか
一番大切なことはいつも神様に思いを向けることだと私は思います。祈ること。感謝すること。聖書を読むこと。そして、正しいことをすることですよね。悪い事はなるべくしないようにすることだと思います。そういう生活ができてきたら、あとは神様のために何でもしたら良いと私は思っていますが、「人生の目的がわかる11の質問」という記事も参考になると思いましたので、ご紹介いたします。(Qは記事からの引用。◇は私のコメントです。)
神様が与える情熱
Q1.あなたにやる気を与えてくれるものはなんですか?Q2.何をしているときが一番楽しいですか? 何に情熱を感じますか?◇この2つはだいたい同じ質問ですね。神様は私たちの思いに働きかけてくださって、ある事に情熱を感じるようにしてくださると思います。自分のためではなく、神様のためにそれをしたいという情熱が与えられるなら、その思いは神様から来ているかもしれません。
神様はアイデアを与える
Q3.シャワーを浴びているとき、どんなアイデアを思いつきますか?(これ、実は真面目な質問です。思いついたらすぐに書き起こしましょう)◇シャワーを浴びているとき以外でも、こういうことが私には良くあります。そのアイデアは神様から来ているかもしれませんよ。
神様は才能を与える
Q4.人から何が得意だと言われますか?◇神様の働きを良くすることができるように、神様はそれぞれに賜物、才能を与えてくださると思います。自分で気が付いている才能もあるかもしれませんが、他人が見て気づいているものもあるかもしれませんね。それを神様のために使ったら良いと思います。
神様が与えてくれる思いに気づく
Q5.気の置けない仲間と、どんなことをよく話しますか?Q6時間に余裕があるとしたら、何をして過ごしますか?(あなたが大切にしていることの、優先順位がわかります)Q7.どんな本が好きですか?(あなたの興味があることを明確にしてくれます)Q8.あなたがよく見るのは、どんな夢ですか?Q9.何をしているとき「生きている」と実感しますか?Q10.子どもの頃、何が得意でしたか?そして、大人になった今も変わりませんか?Q11.お金の心配がないとしたら、あなたは何をしたいですか?(この質問が一番大切!)
神様に思いを向けるなら
◇これらの質問によって、神様からどんな思いや能力が与えられているのかを発見できるかもしれません。ポイントはそれをただ自分の喜びのために使うのではなく、神様のために使うことだと思います。そうすれば、それは永遠に続く喜びになると思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。神様に思いを向けましょう。
新約聖書 ルカの福音書20章27~40節
ところが、復活があることを否定するサドカイ人のある者たちが、イエスのところに来て、質問して、こう言った。「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が妻をめとって死に、しかも子がなかった場合は、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』
ところで、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子どもがなくて死にました。次男も、三男もその女をめとり、七人とも同じようにして、子どもを残さずに死にました。あとで、その女も死にました。すると復活の際、その女はだれの妻になるでしょうか。七人ともその女を妻としたのですが。」
イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。
それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、このことを示しました。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」
律法学者のうちのある者たちが答えて、「先生。りっぱなお答えです」と言った。彼らはもうそれ以上何も質問する勇気がなかった。
死者の復活について
サドカイ人とはユダヤ教の祭司たちのグループで、霊魂の不滅、死者の復活、天使の存在などを否定して、パリサイ人たちとは対立していたようです。彼らの中のある者たちがイエスのところに来て、モーセの言葉を持ち出し、死者の復活に疑問を投げかけたということだと思います。
死者の復活、次の世、復活の子
ここでイエスははっきりと死者の復活について語り、次の世があることについて語り、そこに入る者は御使いのようであり、復活の子として神の子どもとなることを語られました。モーセが書いたこともそれと全く矛盾しないと言っているのだと思います。
究極的な人生の目的
私たちの生きる目的は単に今の世界をどう生きるかということだけではなく、この次の世界に入るということに繋がっていることを思わされます。それはまさに永遠の問題ではないでしょうか。これこそが究極的な人生の目的だと私は思います。