私の問題が解決した!
私はどんな問題も究極的には自分を中心にしていることが原因だと思うようになりました。神様を中心にすると、問題の新たな側面が見えてきて、解決に至ることをこれまで何度も体験して来ました。今も問題が全くなくなった訳ではありませんが、少なくとも解決の方向が分かっていることは大きな力だなあと思います。私は皆さんの問題にも解決があるということをお伝えしたいと思っています。このブログが少しでも参考になれば幸いです。
ご利益(りやく)を求めて信仰することではありません
私が神様を中心とすると言っているのは、何かの宗教を信仰するとか、そうすればご利益(りやく)があるということではありません。ご利益(りやく)を求めて何かを信仰するというのは、依然として自分の思いを成し遂げたいということですから、それは私に言わせれば自分が中心になっていて、神様が中心にはなっていないということです。
神様は私たちの願いを叶える召使いではありません
私がお伝えしたい解決は、自分の思いを中心にしていること自体が問題の原因になっているので、神様の思いや願いを中心にしてみてくださいということです。神様に自分の願いや思いを祈りという形で申し上げることは悪いことではないと思いますが、神様は決して私たちの願いを叶えるための召使いではありません。私たちが神様の願いに従って生きるために造られた存在であるということを受け入れることが重要だと思います。
自分の願いを脇に置いて、神様の願いは何かを考える
自分の思いや願いを中心に世界を回そうとすることではなく、自分が神様の思いや願いを中心に回ることが重要だとお伝えしたいと思っています。そこに問題の解決があることを私は経験してきました。土曜日のテーマは「恋愛、結婚」ですが、「恋愛、結婚」においても、自分の願いや思いはとりあえず脇に置いて、まず神様は自分に何を願っておられるのか、そこから始めることが大切だと思います。
一人になれる部屋で神様に祈り求める
一人になれる部屋で、目を閉じて、そこにいてくださる神様の前に頭を垂れて、声に出して祈ってみて欲しいと思います。神様は霊的な存在であり、天にも地にも満ちておられるお方ですから、神社に行かなければお会いできないということはありません。いつでも、どこでも、あなたと共にいてくださるお方です。でも、神様に意識を集中するためには、一人になれる部屋は最適だと思います。
神様の願い
恋愛について、結婚について、神様はあなたに何を願っておられるのか、神様に祈り求めてみてください。神様は声なき声をもって、あなたの心に囁いてくださると私は思います。どうぞ神様の願いを求めてみてください。自分の思いではなく、神様の思いを中心にしてみてください。素晴らしい恋愛、結婚が与えられると私は確信しています。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様に思いを向けましょう。
新約聖書 ルカの福音書21章20~24節
しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
十字架の死が近づいていた
これは世の終わりにはどんな前兆があるのかと問われ、弟子たちに語られたイエスの言葉の続きです。パリサイ人、律法学者、体制側の人たちとの対立が明らかになり、イエスの十字架の死の時が迫る中、エルサレム神殿で語られました。
それはA.D.70に起こった
この約40年後、A.D.70年にエルサレムはイエスの言われた通り、ローマ軍によって完全に滅ぼされたことが分かっています。その直前まで、イエスの弟子たちはエルサレムで共同生活をしていたことが分かっていますが、エルサレムが軍隊に囲まれた時、彼らは忽然とエルサレムから姿を消したようです。この時のイエスの言葉に従ったのだと思います。
彼らは日本まで来たのではないか
4世紀の神学者エウゼビオスは「教会史」の中で、彼らはエルサレムを脱出して、ガリラヤ湖南方、ヨルダン川東岸にあるペラというギリシャ人都市に集団移住したと記しています。その後、彼らはペラからも姿を消しました。彼らはどこへ行ったのでしょうか。考えられるのは、シルクロードを通って東へ向かったということです。その末裔が「秦氏」と名乗って、日本にやって来たと学者にも言われています。日本人の信仰、文化、伝統は彼らの影響を大きく受けていると考えられます。
異邦人の時が終わるまで
今もエルサレム神殿のあった場所は異邦人に統治されています。異邦人の時が終わるまでとイエスは言われました。そのことについては、また別の機会に書きたいと思います。