これが人生の目的
神様の願いや思いを中心にして生きる。それが人生の目的だと思います。そのように心を決めたら、あとは神様のために何でもしたら良いと私は思います。神様は私たちに自己中心ではない願いや思いを与えてくださると思いますので、その思いに忠実に従ったら良いと思います。
どう見極めるのか
それが本当に神様から来ている思いなのか、それとも自分の思いなのか。どうやって見極めることができるでしょうか。絶対とは言えませんが、これまで私の経験から言えることを書いてみますので、どうぞ参考にしてみてください。
神様の思いと自分の思い
まず、上にも書きましたが、神様の思いや願いを求めることが大切だと思います。求める者に神様はご自身の霊、つまり神様の思いを与えてくださると思います。自分の思いであれば、それは一時的なものですが、神様から来る思いは永続する思いだと思います。それによって神様から来た思いか、それとも自分の思いなのか判断できるのではないかと思います。
そのための能力や環境が与えられる
もし、神様のために警察官になりたいという思いが与えられて、それが本当に神様から来ている思いであれば、そのために必要な能力も与えられると思いますし、警察官の試験にも合格すると思います。もし、いつまで頑張っても合格しないし、その能力もないということであれば、それは神様から来た思いではなかったのかもしれません。
間違いないという確信が与えられる
いろいろな人の意見を聞いてみることも大切だと思います。特に自分とは違う意見を持つ人の意見も聞いた方が良いと思います。その結果、それでも自分の中に動かない確信が与えられているなら、それは神様から与えられている可能性が高いのではないでしょうか。
誰もそれが絶対に神様から来ていると断言できる人はいないと思います
安易に神様から示されたなどと言わない方が良いと私は思います。私たちの知識や判断材料は一部であって、完全ではないでしょう。私たちの判断は限られた、時に偏った知識によって思い込むこともあり得ると思います。それでも、私たちは、その時、その時に与えられる確信によって進む以外にはないというのが私の考えです。後になって、新たな事実を知って、方向を修正することは当然あると思います。
多くの時間を何に使うのか
だから、今の確信を絶対と思わないで、今はこう確信しているが、違う思いが与えられたら、柔軟に対応することもまた大切なことではないでしょうか。多くの場合、職業の選択は重要なことだと思います。人生の多くの時間を職業に使うからです。でも、それは必ずしも給与を得ているかどうかということでもないと思います。子供を育てること、家庭を築くこと、それらのことに給与は出ませんが、とても大事な神様の仕事だと思います。
これも大切な神様の仕事
私にとって、この「日本人の信仰と聖書について考える会」もまた、ここから収入は得られませんが、とても大切な神様の仕事だと思っています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。神様の思いを求めてみてください。
新約聖書 ルカの福音書22章35~38節
それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」 彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」
彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」 イエスは彼らに、「それで十分」と言われた。
イエスの思いと弟子たちの思い
いよいよイエスがユダヤの王になり、自分たちも高い位に就くのではないか。もしかしたら、弟子たちはそう考えていたのかもしれません。イエスはそうではないと弟子たちに語られたのではないでしょうか。
これからの状況への備え
以前は何も持たずに出かけても、人々が彼らを受け入れてくれたので、何も足りない物がなかったのでしょう。でも、今は違います。自分の身は自分で守るための備えをするようにと言われたのではないでしょうか。
旧約聖書の預言の成就
『彼は罪人たちの中に数えられた』 これは旧約聖書に書いてある言葉で、人となった神様は罪人として十字架にかけられるという預言であり、そのとおりに間もなく実現するということを言われたのだと思います。
私たちを買い戻す代価
十字架の時は近づいていました。弟子たちはまだそれを理解していなかったのかもしれません。しかし、それは神様が私たちを愛して、私たちを神様の元に買い戻すための代価であったと聖書には書いてあります。
イエスの十字架に示される神様の愛
こうして、私たちは正しくない者であるにも関わらず、神様のもとに立ち返り、神様に受け入れていただいて、神様を中心とした生活をすることができるようになったと聖書は言っていると思います。この弟子たちの末裔が日本までやって来て、秦氏と名乗り、日本人の信仰と文化の根幹を築いたと考えられます。
これは日本人の信仰
イエスの十字架に示された神様の愛は決してキリスト教の専売特許ではなく、宗教に関係なく、全人類に示された神様の愛であり、特に日本人が太古の昔から大切にしてきた信仰であることを知っていただきたいと思います。日本人として、神様の思いを求めて生きましょう。それが人生の究極的な目的だと思います。