このブログで伝えたいこと
「人生の目的」、「人間関係」、「恋愛、結婚」、「子供の教育」、「キリスト教、宗教」、「日本とイスラエル」、「日本人と日本文化」というテーマで、「神様を中心とした生活」について書いています。今日のテーマは「日本人と日本文化」ですが、これまで半年間このブログを書く中で私自身も新たに分かって来たこともあります。それらを含め、今日は私がこのブログでお伝えしたいことをまとめてみたいと思います。
一番伝えたいこと
最も大切なこととして私がお伝えしたいことは、神様を中心とした生活をしていただきたいということです。そこに全ての問題の解決と幸いがあると私は確信しています。逆に言うと、神様が中心でなくなると問題が起こります。究極的には全ての問題は自己中心に行き付くのではないでしょうか。でも、世の中は自分の思い通りにならないのでストレスを感じてしまいます。私が伝えたいのは諦めではありません。世界は神様を中心に回っていることを知って、神様を中心とした生活をしていただきたいのです。
神頼みや宗教を伝えたいのではない
それは神頼みとは違いますし、何かの宗教を信仰することでもないということも伝えたいのです。神様と言えば宗教やご利益をイメージされる方も多いと思いますが、私が伝えたいのはそういうことではありません。本来、日本人にとって神様とは宗教でもご利益でもなく、生き方であると思っています。今でも日本人は特定の宗教の信者になることには一定の距離を置いていると思いますし、この宗教でなければいけないという考えもないと思います。日本人にとって神様とは宗教とは違う次元にあるものだと私は考えるようになりました。
日本人と日本文化の優秀性
日本人の高い倫理観、人生観、文化は世界でも稀であることを知っていただき、大切にしていただきたいと思っています。特に戦後の自虐史観的な考え方によって多くの日本人が自らの尊厳を捨てて、西欧化の傾向にあることを危惧しています。もちろん、日本人も完全ではありませんが、多くの優れた点があることを知って欲しいと願っています。
古代ユダヤ人の影響
そのような日本文化の優秀性はイスラエル系渡来人の文化と信仰の影響を大きく受けていることを知っていただきたいと思っています。それは聖書の影響であり、神様を中心とした生活に由来していることを知って欲しいと思います。西欧文化にも学ぶべき点はあると思いますが、この日本文化を軽視すべきではないと思います。目先の損得ではない、自分が損をしても正しい生き方を選ぶ。権利の主張をしない。自分の事よりも相手への配慮を優先する。これは日本人の持っている素晴らしい文化であり、西欧文化にはなかなかみられないものではないかと私は思っています。それは自己中心ではなく、神様を中心にして生きる価値観であり、これこそが神様が創造した人間本来の生き方であり、世界の希望だと私は考えるようになりました。
聖書は特定の宗教の本ではない
だから、聖書をキリスト教の本として読んで欲しくないのです。聖書は特定の宗教とは関係ないと私は考えるようになりました。それは神様が人類の歴史にどのように関わって下さったのかが記された世界最古の文書です。私たち日本人が太古の昔から崇めて来た神様のことであることを知って欲しいのです。そして、全ての日本人に神様を中心にした生活をするために、聖書を大いに参考にしていただきたいのです。これが今、私がお伝えしたいことです。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 ルカの福音書22章47~53節
イエスがまだ話しておられるとき、群集がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。だが、イエスは彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか」と言われた。
イエスの回りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ。剣で撃ちましょうか」と言った。そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。するとイエスは、「やめなさい。それまで」と言われた。そして、耳にさわって彼をいやされた。
そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」
ユダに声をかけるイエス
イエスと弟子たちは、いつものように夜はオリーブ山にいることをユダは知っていたのでしょう。イエスを捕らえるために、ユダは群衆を連れてやって来ました。イエスはユダの名前を呼んで、「人の子を裏切るのか」と声をかけました。「人の子」とは、人となった神様のことです。ユダはそのことを知らなかったのではありません。イエスと一緒に旅をし、イエスが人となった神様であることをよく知っていたと思います。イエスはユダに思いとどまるように最後の言葉をかけたのではないでしょうか。
日本人の誇り、人間の尊厳
私たち日本人も神様を知らないのではないと思います。私たち日本人にとって神様は信じるとか、信じないという対象ではないと私は思います。日本人であれば誰でも神棚に手を合わせ、お宮参りをするのではないでしょうか。しかし、神様を中心とした生活をしているのかと言えば、そういう人が少なくなっているのではないかと危惧しています。私は自分の欲や思いを中心にした生活ではなく、神様の思い、願い、正しさを中心とした生活を取り戻していただきたいと願っています。そこに日本人としての誇り、人間としての尊厳があると私は確信しています。
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