独身も選択肢の一つ

「独身」について考える

土曜日のテーマは「恋愛、結婚」ですが、今日は「独身」について考えてみたいと思います。神様を中心に考えるなら、「独身」もまた選択肢の一つかもしれません。まず、独身を謳歌している女性のブログ記事をご紹介します。

「独身一人暮らし女だからこれからどうやって生き抜いていくか考えるブログ」から

独身、一人暮らし、結婚の予定なし、親には頼らぬ。今の生活をのんびり楽しみつつ、おひとりさまで老後まで気楽に生きるにはどうすればいいのか?30年生きてきて得た教訓なのだが、そこそこ忙しくても、空腹と睡眠不足さえ回避しておけば割とどうとでもなる。なので、飯をたらふく食べてよく眠る。あとは〝頑張らない〟。(まあ別に忙しくなくても頑張らないが・・・)

続いて、男性の立場から

「結婚しないことが幸せと考える男のタイプ9選!!」という記事をご紹介します。「結婚しないと聞いて寂しい人と決めつけるのは間違いです!独身を謳歌している読者に、この先も結婚しなくても幸せになれるということをお伝えいたします。」とあります。

「結婚=幸せ」とは限らない

一昔前は「結婚することが幸せ」という考えが当たり前でした。・・・今や男性でも女性でも、独り身を十分に謳歌できる時代です。・・・「結婚=幸せ」とは言い切れなくなってきているんです!・・・本当に結婚は貴方にとって必要なものですか?

夢に向かって一途に考えている

結婚するということは、妻になる相手の人生も背負うことになります。そうなると、あまりリスクのあるような選択はできないんです。・・・1人でいる方が思い切った決断ができて、夢へ集中できるという意味でも目指しやすくなります。

仕事が安定せず、収入が少ない

当然ですが、結婚すると家計を支える必要が出てきます。・・・結果として、収入が多くない男性は結婚すると金銭的な問題を抱えやすくなるんですね。それならば、最初から結婚を視野に入れず、自分一人での生活を考えた方が余裕のある生活を楽しめると考える男性が増えてきています。

人間嫌いのため、1人で過ごしたがる

ネット環境が整うようになって、昔に比べて人と接する機会が格段に減ったという話をご存知ですか?・・・そのため、無理して他人と合わせることもなく、1人で生きることに抵抗のない人が増えてきています。そのタイプの男性陣は当然のごとく、結婚を考えていませんし、そこに幸せを見出していません。むしろ、1人で気楽に生活できることにこそ充実感を感じています。

自由な生活を終わらせて、束縛されたくない

休みの日は家族サービス、朝帰りなどは烈火のごとく叱られます。せっかく料理を作ってくれているのですから、いつも通りに帰宅して用意された食事をとって就寝です。この生活を幸せととるか不幸せととるかは個人の好みになりますが、結婚したがらない男性陣には不自由に見えてしまいます。(ブログからの引用は以上です。)

大切なことは神様を中心に考えること

少なくとも「独身」も一つの選択肢ではないかと思います。大切なことは、単なる自分の好みではなく、神様を中心に考えることではないでしょうか。何を成し遂げることが自分にとって人生の目的なのか。その目的を果たすためには結婚が良いのか、独身が良いのか。神様を中心に考えると良いのではないかと思います。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様に思いを向けてみましょう。

新約聖書 ルカの福音書24章1~12節

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。入って見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。

恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 女たちはイエスのみことばを思い出した。

そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。

ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。

死人のよみがえり

死んだ人間がよみがえったという記録です。これは臨死体験という話ではないと思います。十字架の死から30時間以上は経過していたと思います。これは超自然的な出来事であり、私たち人間の常識では考えられないことだと思います。でも、それは歴史的な事実として、聖書に記録されています。超自然的な力がイエスに働いたと考える以外にはないと思います。

神様の力の現れ

それは神様の力だったと私は思います。神様は単なる人間の観念ではなく、実際にこの宇宙を造り、私たち人間を造り、目には見えませんが、今も働いておられる、このような力を現されるということだと思います。イエスの復活とはその証拠であり、現実世界に神様が働いていることを示す事実だと思います。

教えではない

これは単なる教えではありません。私たちの命もまた決して死で終わらないこと、死んでも生きることを示していると思います。この生きて働いている神様を中心にして生きること。それが神様を中心にする生活だと思います。日本人は太古の昔から、この神様の力を信じて生きてきたことを思います。