日本人の信仰

初詣

初詣をする日本人

毎年、お正月になると日本人の多くが神社仏閣に初詣に出かけます。警察庁の発表によると、2006年の初詣参拝者総数は9373万人とあります。事実であれば、文字通り日本人の殆どが初詣に行くと言って良いでしょう。ちょっと古い統計ですが、2002年に第一生命が40~60代の全国男女900名に行ったアンケートの結果から一部をご紹介いたします。

初詣、神棚、仏壇。アンケート結果

アンケート結果によると、60%の方が殆ど毎年初詣をすると答えています。それは現在と子供の頃を比較しても変わらないと答えています。神棚はどのくらいあるのでしょうか。残念ながら神棚だけの統計はなく、家に仏壇や神棚があるという方は50.3%。子供の頃には82.9%が家に仏壇や神棚があったと答えていますので、ずいぶん減って来ています。

アンケートのまとめ

朝夕や命日などに、仏壇や神棚に手を合わせたり、お供えをする方は42.9%。子供の頃は75.4%。お墓参りは63.8%。子供の頃は78.0%。このように、宗教用具を家庭内に供えて祭祀する日々の習慣は減少していますが、お墓参りや初詣のような年中行事としての宗教行動は存続しているとアンケート結果はまとめています。

殆どの日本人は神様を信じている

2012年アメリカの調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が発表した調査結果では、日本人の57%が無宗教で、36.2%が仏教徒、日本は世界4位の無宗教国家となっている。しかし、それは無神論を意味していません。毎年9000万人の人たちが初詣をし、60%が毎年初詣をすると答える民族は世界中を見渡しても珍しいと思います。日本人はそれを宗教とは考えていませんが、殆どの日本人は神様を信じているということだと私は思います。

神様に何を祈るのか

日本人はどんな思いで初詣をし、神棚に手を合わせるのでしょうか。神様の守りを感謝し、災いから守られ、幸福な生活をすることができるようにと大半の人は祈るのではないでしょうか。時には何か特別な願い事があるという場合もあるでしょう。しかし、神様は決してそれだけの存在ではないということも私は知って欲しいのです。

私たちの願いを叶える神様なのか、私たちが神様の願いに従うのか

神様の願いを中心とした生活をすることが大切だと私は思っています。もちろん、神様は私たちの願いも聞いてくださると思いますが、私たちが神様の願いに従った生活をすることはもっと大事なことだと思います。神様が私たちの生活の中心でなければならないと私は思います。それが神様というものだと思います。

毎日祈ることを習慣化する

私は殆どの日本人は神様を信じていると思いますが、神様の願いを求める日本人は少なくなっているのではないでしょうか。神様を中心とするところに自己中心からの解放と人類の抱える全ての問題、悩みの解決があると実感しています。どうぞ毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読み、自己中心ではなく、神様を中心とした生活を求めてみてください。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様の思いを求めましょう。

新約聖書 ルカの福音書 3章12~19節

ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。

アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。

しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。そして、このイエスの御名(みな)が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

イエスによって与えられる信仰の力

ペテロとヨハネが生まれつき歩けなかった男を歩けるようにしたことを聞きつけて、多くの人々が集まって来ました。そこで語られたペテロの言葉です。まず、これは自分たちの力ではないと言っています。では、この超自然的な出来事は何の力によることなのか。イエスによって与えられる信仰の力だとペテロは言っています。

あなたの信仰はどんな信仰ですか

殆どの日本人は神様を信じていると思います。でも、その信仰は災いがないように守ってくださいという信仰のように思います。私は神様を中心にして生活することが救いだという信仰を持っていただきたいと願っています。それは目先の損得ではなく、また人との駆け引きでもなく、いつも神様を意識して、神様の前に正しく生きることが全ての問題の解決だと実感しているからです。

イエスによって与えられる信仰とは

さらにイエスによって与えられる信仰とは何でしょうか。それはイエスが人類の罪のために十字架について死に、三日目によみがったとことを信じる信仰だと思います。つまり、神様はこのように私たちの現実の世界に超自然的な力をもって臨まれることを信じる信仰のことだと思います。

そんなことはあり得るのか

私たちは自分の考えを中心にして、そんなことはあるはずがないと言って、神様の力を制限してはいないでしょうか。どうして、天地万物を造った神様にイエスを復活させることができないと考えるのでしょうか。神様にはできるということを受け入れる時、私たちは超自然的な神様の力を期待するようになると思います。

神様の力を制限すべきではない

生まれつき歩けなかった男はどうして歩けたのでしょうか。イエスによって与えられる信仰の力だとペテロは言っています。私たちには不思議なことですが、神様の力を制限すべきではないと思います。

悔い改めて、神に立ち返りなさい

ペテロは言っています。「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。」 「罪」とは自己中心のことだと思います。それは人間が全てという考えだと思います。そういう考えをぬぐい去っていただくためには、中心を変えて、神様を中心とすることだと言っているのだと思います。神様を中心とする時、私たちは自分の限界を超えることを期待できるようになると思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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