夫婦のコミュニケーション

指の老夫婦

もちろん独身も選択肢の一つだと思いますが、神様を中心とした生き方を良く成し遂げるために、パートナーがいることも有益なことだと思います。今日は「幸せのホームページ」の「特定の相手との問題のヒント」から「夫婦の会話の問題」をご紹介いたします。

夫婦の会話がない

人生のパートナーとのコミュニケーションは大切だと思います。会話がない原因として、相手が無口、忙しく疲れている、関係が悪化しているなどが考えられます。100%一方の責任とも言えないと思いますが、イヤだと思う方が努力するしかないでしょう。もちろん「もう少し会話を増やしたい」と提案して、相手が同意してくれれば一緒に努力できるかもしれません。

話題が合わない

相手の話すことに興味がない/つまらない/くだらないと思う、自分が話したいことに相手がのってくれないなどが考えられます。相手の立場になって考え、思いやりがあれば、互いに相手の話をよく聞いてあげることもできるはずなのですが、やはり努力も必要だと思います。

話を聞いてくれない

相手の話を聞くというのはその能力と愛情がないとできません。そういうことを知るためにも、聞き上手になる努力をしてみるのもいいのではないでしょうか。相手も話を聞いてほしいのかもしれません。

話を聞きたくない

愚痴/人の悪口/うわさ話など、興味がない話、説教や小言、「疲れた」などの口グセを聞きたくないなどがあるでしょう。愚痴でも悪口でも説教でも、それが相手のストレス発散になると考えて聞いてあげられればいいのですが、「やめてほしい」とお願いすることもできます。直りそうもない場合には、聞き流せると良いと思います。

夫婦の会話と関係

夫婦の会話の問題には価値観の違いも大きいような気がします。また、会話の重要性をあまり認識していない人も(特に男性の中には)多いように思います。それを大切に思う人にとってはつらいことだと思います。(大切にし過ぎるのも問題かもしれません)(サイトからの抜粋は以上です。)

今一度、目的について考えてみましょう

いかがだったでしょうか。結婚する前に、お互いに目的を共有していれば多くは避けることができるように思います。すでに結婚されている方は、今一度、結婚の目的について考えてみるのも良いのではないでしょうか。私は夫婦関係が快適であることは良いことだと思いますが、快適ならそれで良いという訳でもないと思います。

男女の違いを理解することも大切

同じ目的に向かって、良い協力関係を築くために、男女の違いを理解することも大切だと思います。男性と女性は随分と違いがあるので、違いを理解し、受け入れ合うことも大事だと思います。また、感じていることを正直に話して、努力して改善することも大切だと思います。お互いに神様を中心とした生き方を良く成し遂げるために不可欠なパートナーなのですから。

それでは今日も聖書の続きを読んで、共通の目的である神様に思いを向けましょう。

新約聖書 使徒の働き 4章5~12節

翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。

そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべてのすべての人々も、よく知ってください。

この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

何の権威によって

エルサレム神殿で群衆に教えたという理由で捕らえたられたペテロとヨハネは、その翌日、ユダヤ教の大祭司一族から尋問を受けました。「何の権威によって、だれの名によってこんなことをしたのか。」

宗教の権威なのか、神様の権威なのか

確かにペテロもヨハネもユダヤ教の正式な教師でも、教える許可も受けていなかっただろうと思います。その時、ペテロは神様の霊に満たされて言ったとあります。つまり、ペテロはユダヤ教という宗教の話ではなく、神様のことを語ったということだと思います。

ナザレ人イエス・キリスト

それはナザレ人イエス・キリストについてでした。この方こそ太古の昔から言い伝えられていた人となった神様であり、この方の十字架と復活によって私たちは神様に立ち返ることができる、つまり救われるのであって、この方以外にはいないということを言っているのだと思います。

宗教の話ではない

これはキリスト教という宗教の話ではありません。これはユダヤ教という宗教の話でもありません。確かにイエスは人となった神様であり、この方によって生まれつき歩けなかった人が歩いたのであり、私たちも神様を中心にして、神様の力をいただいて生きることができるようになるということなのだと思います。

神様を中心とした生活をしましょう

ですから、それは何かの宗教の信者になることではありません。独身者も既婚者も、神様を中心とした生き方をしましょう。これから結婚を考えている人も、考えていない人も、神様を中心とした生き方をしましょう。神様が喜ばれることは何かということを中心にした生き方をしましょう。そこに全ての問題の解決があると思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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