「スメラ」とはどんな意味なのでしょうか
「記紀(古事記、日本書紀)」によれば、紀元前660年に神武天皇が大和を平定し、「ハツクニシラススメラミコト」として初代天皇に即位された。天皇は古来、「スメラミコト」と呼ばれていた。それはどのような意味なのでしょうか。坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。
それは「サマリア人」のこと
「スメラ」とはヘブライ語の「シャムラム」が訛ったものではないか・・・複数形では「シャムラニーム」といい、今もイスラエルに残るユダヤ教徒の一派「サマリア人」のことである。この・・・シャムラニームはサマリアを首都とした北イスラエル王国が存在した時からの生き残りと言われている。
「サムライ」の語源という説も
だが一方で、「シャムラニーム」は「護る人々」という意味もある。・・・そこから、「サムライ」の語源はシャムラニームから派生する言葉「シャムライ」ではないか、という説がある。
「ミコト」とは
では次の「ミコト」という言葉を見てみよう。実はこの言葉もヘブライ語で見ると意味が通る。それは「ミガッド」という言葉である。ヘブライ語で「ミ」は「~から」とか「~出身」という意味がある。そして次の「ガッド」とは、消えた十部族の中の「ガテ族」ということなのである。
「スメラミコト」の意味は
つまり「スメラミコト」とは「シュメラミガッド」、「ガテ族出身のサマリアの人」ということになる。まさに、サマリアを首都とするイスラエル人で、その中でもガテ族の人間である、ということなのである。
それが初代天皇である神武天皇の名前の由来
つまり「ハツクニシラススメラミコト」として初代天皇となられた神武天皇は、即位にあたりイスラエルの部族における自分の存在を現された、ともいえるのだ。(本からの引用は以上です。)
古代イスラエル系渡来人の影響
いかがでしょうか。これもまた古事記、日本書紀に見られる日本とイスラエルの繋がりを示す一つの証拠ではないでしょうか。日本の建国とその文化、伝統、信仰に古代イスラエル系渡来人の影響があったと考えることができるのではないでしょうか。
日本人として聖書を読む
そのような観点から、私はキリスト教やユダヤ教の教典としてではなく、日本人の視点で聖書を読んでいただきたいと思っています。聖書の神様は決してある特定の宗教の神様ではないと思っていますが、特に日本人にとっては特別な意味があるのではないでしょうか。
それは日本人の神様
聖書は私たち日本人の信仰のルーツであり、聖書の神様は私たち日本人が太古の昔から崇めて来た神様に他ならないのではないかと私は思っています。決して外国の宗教でも、新しい神様でもないと思っています。それでは今日もそんな思いで聖書の続きを読んで、神様に思いを向けていただければと思います。
新約聖書 使徒の働き6章1~7節
そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
ギリシヤ語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人
まず目を留めたいことは、弟子たちの群れにはギリシヤ語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人の2つのグループがあって、その区別ははっきりしていたようだということです。
もともとイエスと共にいた弟子たちと国際的な人たち
イエスの十二使徒をはじめ、もともとイエスと共にいた弟子たちはユダヤに住むヘブル語を使うユダヤ人であったと思います。しかし、大都市エルサレムにはもともとユダヤに住んでいないユダヤ人(ユダヤ教徒)もいて、イエスの弟子たちの共同体に加わる者も多くあったということではないかと思います。彼らはヘブル語を使わず、ギリシヤ語を使う国際的な人たちと言ってもいいかもしれません。たぶん生活様式もユダヤに住んでいるユダヤ人とは違う部分もあったのではないでしょうか。
弟子たちの共同体の組織化
そのような人々が一緒に共同生活をするにあたって、色々な問題が起こったのだと思います。それらの問題を解決するための人々が任命され、弟子たちの共同体は組織化されて行ったのではないでしょうか。こうして弟子の数は益々増え、広がっていったということではないかと思います。
日本にもたらされたイエスの直接の弟子たちの信仰
やがて、この弟子たちの共同体は分裂し、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちの組織はキリスト教会へと発展し、もともとイエスと共にいたヘブル語を使う人たちの群れはエルサレムを離れ、シルクロードを通って東へと向かい、その末裔が秦氏と名乗って、日本にまでやって来たのではないかと私は考えています。日本には西欧キリスト教の伝統とは違う、イエスの直接の弟子たちの信仰がもたらされていると考えられます。