恋愛、結婚に関する私の考え
ネットで恋愛、結婚に関する相談とコメントを見ていたら、本当にいろいろな意見があるものだと考えさせられました。皆さんはどのようにお考えでしょうか。それぞれ確信があれば、それで良いと思いますが、どう考えたら良いのだろうと悩んでいる方もいらっしゃることでしょうから、私の意見も参考にしてみてください。
こんな相談を読みました
30代後半男性。恋愛経験無し。「一度だけ同世代の方で、脈がありそうなことがあったが、いろいろ話していると私に関心があるというより、安定した生活を手に入れたいだけのように感じられた。相手の方曰く、私には情熱的にときめくことはないけど安定していそうで不安になる要素がなさそうとのことです。なんだか、遊び飽きたので無難なところで手を打っておこうみたいに感じてしまい虚しくなりました。」
この相談に対するコメント
どちらかと言うと批判的なコメントが多いように感じました。その主なものは、恋愛と結婚は別、結婚に安定を求めるのは当然ではないかという意見です。多くは女性の方からの意見のようでした。「男女共とても若いならともかく、30代に入ってたら『大好きなの! 近くにいるだけでドキドキしちゃう!』なんてことはないですよ。妄想も甚だしい。結婚はね、安心と妥協だよ。激しい恋もいつかは冷めるの。一緒にいるとな~んとなく安心する、気に入らないこともあるけど、我慢出来ない程ではない。それで十分です。」
こんなコメントもありました
「恋愛と結婚とは違う気がします。恋愛は、責任のいらない、やめたくなればすぐにやめられるもの。ある既婚の友人がいますが、彼女も色々な男性と過去に付き合ってきたけど、結婚相手に選んだ人は物足りない人だそうです。優しいけれどなんのときめきもなく、ただ生活には困らないみたいです。好きと言えば、好きらしいですが。彼女はモテモテだったので、結婚前にどれだけの男性と遊んでたのか、私は知っています。もちろん、結婚相手はしらないみたいです。」
そんなもんなんでしょうか?
こんなコメントもありました。「なんで恋愛と結婚を切り離して考えるのさ?恋愛の延長が結婚だよ。相手を好きじゃなきゃ結婚する意味ないよ?焦る事ないから好きになった人と結婚したらいいよ」
私の意見を押し付けるつもりはありませんが
繰り返しますが、それぞれが確信を持てば良いと思います。ただ、参考のために。私は恋愛と結婚は別と思いませんが、必ずしも恋愛した後に結婚するということでもないと思います。もちろん、嫌いな人、相性が悪い人、苦手な人との結婚は難しいと思いますが、大切なことは単なる相性よりも、人生の目的、結婚の目的を共有できる相手かどうかということではないでしょうか。結婚前にお互いにそういうことについてよく話してみたら良いと思います。
恋愛は夫婦のためのもの
私は目的を共有できる相手と結婚した後には大いにお互いに恋愛すべきではないかと思います。もちろん結婚相手とということです。夫婦でデートしたり、楽しい時間を過ごすことは嬉しいことでしょう。恋愛とは本来夫婦のみに与えられた喜びだと私は思います。その楽しみは結婚した相手にだけ取っておいた方が良いのではないでしょうか。それが神様を中心とした恋愛、結婚だと私は思います。
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒の働き 12章6~11節
ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。
御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。
すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
彼らが、第一、第二の衛所(えいしょ)を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。
そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」
神様を体験する
文字通りこのような出来事があったのかどうか私には確かめる術がありませんが、大切なことは、神様がヘロデの手から、また、ユダヤ人たちの陰謀から、ペテロを救い出してくださったということではないでしょうか。神様を中心にして生きるとは、私たちがどう生きるかという生きざまであると同時に、生きて働く神様の力でもあると思います。それは単なる教えや考え方に留まらず、神様を体験することでもあると思います。