女の不満、男の不満

夫婦喧嘩

男性と女性の考え方、感じ方、受け止め方には随分違いがあるようです

「男はみんなウルトラマン、女はみんな白雪姫」と表現した人がいますが、この違いを理解していないと、良かれと思って言ったこと、やったことが全て裏目に出てしまうということもあると思います。聖書には、「妻は夫を敬いなさい。夫は妻を愛しなさい。」というパウロという人の言葉がありますが、鋭いところを突いていると思います。

先週も紹介しました「恋愛心理☆結婚の悩み★男女の心理はこんなに違う!」というサイトから「女の不満、男の不満★それぞれの疑問!」という記事を抜粋してご紹介します。

女の不満:男ってどうして些細な事でプライドを傷つけられるの?

男のプライドは女の「貞操」と同じくらい大切なものなんです。このプライドを守るために命がけになるのです。多分、多くの女性がそこまで男のプライドが命に値するほどの重要なものだということは気づいてないかもしれません。

男の自尊心は男のエゴと混同されやすいのですが、単なる「虚栄心」や「わがまま」などとは、はっきりと区別すべきものなんです。結婚した男性は、家族という組織の中で「主人でありたい」「主人としての責任を果たしたい」という強い欲求をもっているんです。それもプライドがあるからなんです。

極端な言い方をすれば、「プライドを守る」というその一点だけを尊重してあげれば、たいていのことには寛容で、妻や子供の願い通りにしてあげたいと思っているものなんです。男性は自分の価値を認め、頼りとし、信じてくれる女性のためには「すべてを捧げ命を懸けて守ってあげたい」という本能的心理があります。

もしかして貴女の夫や彼がダメ男だとしたら、それは貴女自身の彼に対する接し方に問題があるのかもしれません。彼を攻撃する前に自身の言動や行動に問題はなかったのか内省してみましょう。

男の不満:なぜ、女の話はまわりくどくて口うるさいのか

女は遠まわしな言い方で表現することが多いのですが、それにはちゃんと理由があるのです。それは、衝突や対立、不和を避けて相手と親しくなり、良い関係を築くことなのです。

また、女が口やかましくなるのは、夫やパートナー、息子、娘といった親密な人間が相手のときに限られます。つまり、不満を抱いているからなんですね。一生懸命、パートナーに尽くしたり、家事育児に専念しても家族の誰からも感謝されず、当たり前のように思われていて、自分の存在価値を見出せないでいるのです。

男性の皆さん、女が口うるさくなるのは、何かに気づいてほしいというシグナルなんですよ。

自分が愛されている、感謝されているという実感が持てないのだから、男性のみなさんは日々の生活の中で努めて妻に感謝し「ありがとう」「愛してるよ」の言葉をかけてあげましょう。

それからさりげないスキンシップも有効です。なにげなく肩を抱く、手を握る、軽くハグをする、などなど、どうぞ試してみてくださいね。(サイトからの抜粋は以上です。)

神様を中心に男女の違いを考える

その必要があって、神様は男と女をそのように造られたのだと思います。だから神様を中心にして考えることが大切だと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きた人々の記録であり、日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様に思いを向け、神様を中心にして生きる日本人として参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 使徒の働き 20章1~6節

騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。

パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。

種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。

パウロに反対するユダヤ人

パウロとその一行は再びエーゲ海を渡りマケドニヤに向かい、ギリシヤに至りました。そこで三か月を過ごしましたが、ユダヤ人の陰謀があったので帰ることにしたとあります。いつもパウロに反対するユダヤ人がいたことが分かります。

まずユダヤ人に話すパウロ

ユダヤ人こそ神様について、メシヤについて、聖書について、良く知っている人たちだったと思います。だからパウロはいつでもまずユダヤ人にイエスがメシヤであること、神様を中心にして生きることについて話したのだと思います。

神様を良く理解できるはずのユダヤ人

本来、ユダヤ人は誰よりも良くパウロの話を理解することができる人たちだったと思います。もちろん、パウロの話を良く理解して、神様を中心にして生きるようになったユダヤ人(メシアニック・ジュー)もたくさんいたと思います。しかし、不思議なことにそうしないユダヤ人たちは無関心、中立ではなく、パウロに反対する態度を示しました。

理屈ではなく生き方

結局、神様を中心として生きるとは理屈ではなく生き方の問題だと思います。それが正しい生き方であり、そのように生きたいと願うでしょうか。そう願わないのであれば、自己が中心となり、反対の態度を示すようになってしまうのではないでしょうか。それはパウロに反対するだけでなく、神様に反対する生き方になってしまうと思います。

いかがでしたでしょうか。参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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