我が家のホームスクーリング。長男はカナダへ

長男はカナダへ

長男は中3の途中からホームスクーリングを始めましたが、その後、ホームスクーリングをサポートしている「チアにっぽん」の紹介でカナダに半年行くことになりました。振り返ってみると、長男は1年半程しか我が家でホームスクーリングをしていなかったことになります。

英会話ができるようになって帰って来た

まったく英語ができなかった長男ですが、半年で英会話が出来るようになって帰ってきました。長男は当時17歳だったと思いますが、結構出来るようになるものですね。長男がカナダに行っている間に、我が家では宮城県に引っ越す話が進んでいました。

宮城県へ引っ越し

長男が帰国して2,3か月くらいだったと思いますが、我が家は宮城県に引っ越し、長男はそこで仕事を始め、長女と次女はインターナショナルスクールで英語を学び、他の教科は家庭でホームスクーリングという形になりました。私も牧師ではなく、現在の仕事をするようになりましたので、二人の娘のホームスクーリングは妻が一人で勉強を見る事になりました。

すべては伝道のために

当時を振り返ると、我が家の合言葉は「すべては伝道のために」だったなあと思い出します。まだ、現在のように「宗教ではなく、神様を中心として生きる幸い」という理解ではありませんでしたが、それでも私たちがこの世に生かされているのも、こうしてホームスクーリングするのも、すべては人々に神様のことを伝えるため、そのために役立つことは何かといつも考えよう、そういう思いで毎日を過ごしていたことを思い出します。

誰かが仕事をする

生活のために、家族の中で誰かが仕事をして収入を得る必要がありますが、そうやって家族で協力して神様のことを伝え続けよう。それが私たちがこの世界にいる存在理由だ。そんな風に考えていました。それで長男も仕事を始めました。仕事すること自体も本人にとって勉強になると思いますが、そうやって収入を得ることで家族の生活を支えることを考えました。今は私も仕事をして家庭を支えますが、やがて子供達が仕事をして収入を得ることができるようになったら、私はまたフルタイムで伝道の仕事ができるようになるだろうと家族で話し合っていました。

我が家ではそれを「吉村ミニストリー」と呼んでいました

目的が明確であれば、そのためには何が必要で、何は必要でないのかも判断することができます。子供達が神様のことを伝えるという使命感をしっかりと持つことは根本ですが、仕事をして収入を得ることができるように教育することも大事と考えていました。続きはまた来週書きたいと思います。お楽しみに。

それでは今日も聖書の続きを読みましょう

聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きることができるように、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、毎日聖書を読むことをお勧めいたします。

新約聖書 使徒の働き 22章11~16節

ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコに入りました。すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。

すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声(みこえ)を聞かせようとお定めになったのです。

あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名(みな)を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

パウロの弁明の続き

反対するユダヤ人の群衆に向かって語られたパウロの弁明の続きです。ダマスコに向かう途中、強い光に打たれ、イエスの語りかけを聞いたパウロは目が見えなくなり、いっしょにいた人たちに手を引かれてダマスコに入ったと言っています。

超自然的な出来事

そこでアナニヤという人と会い、彼がパウロに「見えるようになりなさい」と言うと、見えるようになり、神様からパウロに与えられた使命が語られたという超自然的な出来事です。私自身はこのような不思議な体験をしたことがないので、これが文字通り事実の記録であるのかどうか判断することはできません。

ユダヤ教に反対するものではない

しかし、ここで私には2つの事が印象に残りました。1つは、このアナニヤという人は律法を重んじる敬虔で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良い人だと記されていることです。パウロの伝えている事は決してユダヤ教に反するものではないということが強調されているように思いました。

同じ神様のこと

もう1つは、アナニヤが「私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ」と言っていることです。つまり、パウロの伝えている内容は新しい宗教の話ではない。ユダヤ教を否定するものでもない。むしろ、私たちの父祖たちの神が示したことだと強調しているように思いました。

宗教と神様

私たちの神様は全人類の神様でしょう。それは宗教を否定するものではありませんが、特定の宗教に限定されるものでもないでしょう。宗教を大切にする人は宗教を大切にしたら良いと思います。それは悪いことではないと思います。しかし、宗教が神様に取って代わってはいけません。宗教が中心になってしまって、神様が中心でなくなってはいけないと思います。

大切なことは神様

特に私たち日本人の多くは、世界では珍しく、特定の宗教を持つことを好みません。しかし、神様への信仰は大切にするということが統計から分かっています。大切なことは宗教ではなく、神様を中心にして生きることだと思います。それは太古の昔から日本人が大切にしてきた心であり、パウロが伝えようとしていた信仰ではないかと思います。

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