「子供の教育」善悪を示す大切さ

教室で勉強する子供

戦前の道徳教育に用いられた「尋常小学修身書児童用巻6」の「第十五条国民の務め(その三)」にこういう文章があります。

選挙についての教え(小学6年生)

われらは、帝国議会の議員を選挙し、あるいはその議員に選挙されて 、国の政治に参与することができます。帝国議会の議決は国の盛衰せいすいに関係しますから、したがって、その議員の適否は、国家・国民の幸不幸となります。それで議員を選挙するには、候補者の中から、性行がりっぱであり、よい考えをもっている人を選んで投票しなければなりません。自分だけの利益を考えて投票し、または他人にしいられて適任者と思わない人に投票してはなりません。また理由もないのに大切な選挙権をてて投票しないのは、選挙の趣旨にそむくものであります。

帝国議会の議員に選ばれたものは、その職責の重大なことを思い、かりそめにも私情に動かされず、利害にまどわされず、奉公の至誠をもって、その職責を果たさなければなりません。

言われれば分かる

いかがでしょうか。私は国会議員がそれぞれ特定の個人や団体の利益を代表するのは当然のことのように思っていましたが、この小学6年生の教科書の文章を読めば、それは正しくないことは誰の目にも明白だと思います。言われなければ気づかなかったことでも、言われれば分かります。

教育の大切さ

これは一例ですが、人は皆、自分の利益を求めるものであって、それは当たり前だとするのではなく、何が正しいことなのかということを教えるならば、それを志す人は増えるのではないでしょうか。それが教育というものではないでしょうか。しかし、教えなければ、そういう人にはならないのではないでしょうか。そういうことを教えることは洗脳であって、教えないことが子供の自由を守ることになるという考えは正しくないと私は思います。

心の教育

日本人は世界的に見て、その倫理観、その国民性が高く評価されることが多くありますが、それは決して偶然ではなく、このような教育の成果であったのだと改めて思わされます。私は戦後このような大切な教育を失ってしまったのではないかと心配しています。今こそ心の教育を取り戻さなければならないのではないでしょうか。

神様を中心にする

それは自己中心を退けて、いつも神様の前に正しく生きる日本人を育てることに他ならないと思います。そのためには親もまたいつも神様を意識して、損得ではなく、正しく生きる姿を子供達に示す必要もあると思います。それは調教でも、洗脳でもありません。子供の良心を育むことであり、やがて自分の良心で判断できる人を育てることだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして正しく生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰と倫理のルーツでもあります。キリスト教という西欧の宗教の教典としてではなく、日本人として神様の前に正しく生きるために聖書を読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 6章1~4節

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

これが日本人の心ではないでしょうか

いかがでしょうか、これが日本人の心というものではないでしょうか。もちろん、善行は絶対に人に分からないようにしなさいということでもないと思いますが、ポイントはたとえ良いことをするにしても、人から褒められたくて、人の目を意識して、人に見せびらかすような善行であってはいけないということでしょう。そういうことに気をつけましょうということだと思います。

人に喜ばれてはいけないということでもないでしょう

人に喜んでもらえることは良いことだと思います。また、誰でも褒められたい、認められたいという思いもあると思います。子供が正しいことをした時に、適切に褒めることも大切だと思います。しかし、人間を中心にするのではなく、神様に喜ばれ、神様に褒められることを求めることが大切だということだと思います。

宗教ではなく、神様を中心にする

人から褒められることを求めると間違う危険性がありますが、神様から褒められることを求めるなら間違わないと思います。しかし、それは何か特定の宗教の教えを信奉することではないと私は思います。それもまた自己中心になる危険性を持っているので注意が必要だと私は思います。神様の願い、思い、それは宗教ではなく、それぞれの良心で判断できるものだと私は思います。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心とした幸いな生き方を多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部4円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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