「仲良し夫婦」に共通する行動

「【離婚してしまう夫婦】と【仲良し夫婦】の違いとは?」という記事から、「仲良し夫婦」に共通する行動をご紹介します。夫婦仲よく過ごすための参考にしてみてください。

恋人時代を忘れない

外に出る時は「デート」、歩いているときは「手を繋ぐ」。(いつも恋人時代!いつまでも恋人時代!)

会話の時間が長い

平日夫婦で会話している時間が平均1時間なのに対し、仲良しの夫婦は3時間話しているそうです。

喧嘩はほとんどしない

仲良しな夫婦は喧嘩ではなく『話し合いをしている』。お互いが冷静になり、思いやりをもって話し合うことで、過度な喧嘩に発展せず心にしこりを残しにくい。手を握って喧嘩をすると、お互いのぬくもりを感じて過度な喧嘩には発展しない。

お互いを男女として扱っている

『綺麗だね』や『素敵だね』など、お互い褒め合っている。夫は仕事、妻は家事など、男女としての役割をはっきりしている。(なるほど。そうかもしれませんね。)夫は帰宅前に髪を整えたり、妻は少し化粧をしたりと、相手によく見せたいという気持ちを忘れない。(このような気配りは大切かもしれませんね。)

夫婦独自のルールに逆らわない

例えば、妻が嫌がる話をしない。夫のお小遣いの用途は聞かないなど。(そうかもしれませんね。根掘り葉掘り理由を詮索しない。必ずしも全てに納得できる理由はないかもしれませんし、うまく説明できないものもあるかもしれません。それでもあるがままのお互いを受け入れることは大切ですね。)

同じベットで仲良く寝ている

なるべく「おやすみ」のタイミングを合わせるのが秘訣。別々のベッドで寝ている夫婦は離婚率が50%上がる。触れ合う機会が増えることで、自然と家族ではなく夫婦の関係が築ける。

譲り合い、思いやりを持っている

夫婦はいかに譲り合い、どれだけ相手を思いやれるかにかかっている。どちらかが自己中心的で相手に頼ってばかりでは夫婦は長くは続かない。仲良しな夫婦は些細なことでも日常的に「ありがとう」と言っている。相手の思いやりを当然のことと受け止めない。例えばおいしいものなら夫に多く食べさせようとする。そして「ありがとう」と言い、次は妻においしいものを食べさせようとする。(サイトからの引用は以上です。)

自己中心はいけません

いかがでしたでしょうか。どれもその通りだなあと思われたのではないでしょうか。一言で言えば、夫婦の関係を壊すものは自己中心だと思います。でも、頑張ってやってみたところで、相手から期待した反応が「初めは」返って来ないかもしれません。だから、相手を中心にするのでもなく、神様を中心にすることが大切だと私は思っています。

神様を中心にする

相手の反応に自分も感情的に反応しないことが大切だと思います。たとえ相手の反応が期待通りではなかったとしても、自分は正しいと思うことを神様の前に実行すれば良いのだと思います。素直な反応が返って来るには、少し時間がかかる場合もあると思いますが、こちらが感情的な反応をしなければ、必ず「仲良し夫婦」になると思います。

聖書を読みましょう

人の態度や反応に揺さぶられないで神様の前に正しく生きるために大切なことは常日頃から神様を意識することだと思います。毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことが大きな助けになると思います。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書をお読みください。

新約聖書 マタイの福音書2章7~12節

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

通常の「星」ではない

確かにこの「星」は普通の星ではないようです。東方で「星」が現れ、その「星」に導かれて博士たちはユダヤまでやって来ました。ヘロデ王に会った後、再びこの「星」が彼らを先導して、幼子のいる家まで来て、その上にとどまったとあります。

目に見える神様の栄光

メシヤニック・ジュー(イエスをメシヤと受け入れたユダヤ人)の聖書学者であるアーノルド・フルクテンバウム博士は、この「星」と訳された言葉は、元々は「輝き」「光」という意味であり、通常の星ではなく、神が目に見える形で現れた光のようなものであろうと言っています。

意外と思い込みがある

また、クリスマスと言えば、馬小屋の飼い葉桶に寝かされた幼子のイエスと、それを見守るマリヤとヨセフ、それを取り囲む羊飼いたちと3人の博士という図を思い起こす方が多いと思いますが、博士たちがベツレヘムにやって来たのは、幼子が生まれて数年は経っており、馬小屋ではなく、「幼子のいる家」と書かれていることも分かります。意外と私たちには事実とは違う思い込みがあるのかもしれません。

いかがでしたか

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