【人生の目的】人生に目的はあるのでしょうか

元気に遊ぶ子供たち
人生に目的はあるのでしょうか

人生に目的はないという人もいれば、あるという人もいます。人間として尊厳ある生き方、人として正しい生き方というのは確かにあるということは、あらためて考えるまでもなく、皆分かっていることではないでしょうか。それは人生には目的があることを示しているのではないでしょうか。

御霊の実

パウロという人が書いた手紙が新約聖書の中に収められていますが、このような文章があります。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(新約聖書ガラテヤ人への手紙5章22,23節)「御霊」とは神様の霊ということですから、神様を中心にして生きるなら、このような「実」がなると言っているのだと思います。これは人生の目的ではないでしょうか。

肉の行い

また、パウロはこうも書いています。「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」(新約聖書ガラテヤ人への手紙5章19~21節)

そりゃそうではないでしょうか

「肉の行い」とは「自己中心」のことだと思います。こういう生き方は人生の目的から外れているのは誰の目にも明らかだと思います。自己中心を退けて、神様を中心にして生きること。それが人生の目的だと思います。

神様はいるのか

そういう神様は本当にいるのか。どうやって、それが分かるのかと言う方がいらっしゃると思います。私は2つのことから、そういう神様がいることは明らかだと思っています。1つは神様を前提としなければ、生命の存在、この宇宙の存在を説明することができないという事実。もう1つは人間には良心があって、確かに正しい生き方というものがあるということを知っているという事実です。

理屈だけではない

ある統計調査によると、日本人の9割以上は神様の存在を証明することはできないが、否定することもできないと考えているそうです。私は日本人のそのような認識は健全だと思います。確かに神様は理屈だけでは分からないと思います。私自身、理屈で考える西洋的な教育を受けて来ましたので、物事を頭だけで考える傾向がありますが、そのような考え方が全てではないということも皆さんには知っていただきたいと思っています。頭で考えるのではなく、まず座る。それが禅だそうです。まず神様を中心にして生きる。それもまた理屈ではない面があると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、私たち日本人の信仰や生き方に深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 12章31~37節

だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。

まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。

わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。

良心に語り掛けられる神様の声

これはイエスのことを悪く言ったパリサイ人(ユダヤ教の指導者)とそこにいた人々に語ったイエスの言葉の続きです。どんな罪も赦されるが、御霊に逆らう冒瀆は赦されないとイエスは教えました。御霊とは神様の霊ですから、それぞれの良心に語り掛けられる神様の声に逆らう冒瀆は赦されないということではないでしょうか。

神様を中心にして生きる

良い木とは神様の声に従う人のことでしょう。そのような人は良い実を結ぶでしょう。しかし、神様の声を退け、自己中心であれば、良い実を結ぶことはないでしょう。「悪い者」とは、性格とか性質ではなく、神様の声に従わない人ということではないでしょうか。心に自己中心が満ちているなら、それが口をついて出て来ると思います。心が神様の思いで満たされているなら、それが外側に現れて来るだろうと思います。

大切なことは神様を中心にして生きることではないでしょうか。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

■お知らせ■

2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しいたします。入場無料、予約不要です。ぜひお出で下さい。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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