【人生の目的】人生の目的を見失ってしまう理由

一人佇む女性

「人はなぜ人生の目的を見失ってしまうのか。5つの本当の理由」というサイトから私が共感した内容をご紹介いたします。参考にしてみてください。

外から内を見て生きている

私たちは小さいころから、他人を参考にして生きることを教えられて育ちます。子供時代には、社会的規範に従うことが大事。つまり、他者との関係の中で自らの行動を決めるという癖を、子どものころから叩き込まれているのです。しかし、人生の目的のような個人的な事柄にそのプロセスを流用しようとすると、問題にぶつかります。

(確かにそうだと思います。もちろん、社会的規範を身に付けることは大切なことですが、私は何のために生きるのかというのは、他の人から教えられるというよりも、最終的には自分の良心で神様の声を聞いて行かなければならないことだろうと思います。)

内なる声に耳を傾けていない

目的を見つけることとは、自分の内なる声に耳を傾けること。教育者のパーカー・パーマー(Parker Palmer)氏は、著書『Let Your Life Speak』において、人生に向かって語りかけるのではなく、逆に人生に語りかけてもらうことの重要性を説いています。

(内なる声とは、良心に語り掛けられる神様の声なき声のことだと思います。何のために生きるのかという問い掛けではなく、何のために生かされているのかという神様からの語り掛けに耳を傾けることが大切ではないでしょうか。)

何もしないことを恐れる

静寂のない人生は危険です。立ち止まって振り返ることをしなければ、自分のエゴとそのエゴが求めるものを、人生の目的と勘違いしかねません。そのような脚本を演じ続けても、ハッピーエンドは望めないのです。

エゴに乗っ取られた人生では、いずれ燃え尽きてしまいます。そしていつしか、こんな疑問を抱くようになるでしょう。「こんなに素晴らしい人生なのに、満たされないのはなぜ?」

静寂はノイズをかき消し、本質が現れる場所を生み出してくれます。静寂の中では、自分の人生や仕事が果たしてうまく進んでいるのか、答えが出るまでゆっくりと自問自答することができます。

(計画のための1分は実際の行動を1時間節約すると言われます。忙しい毎日であればなおさら、そのサイクルから少しの時間抜け出して、自分に対する神様の思いや願いは何かと思い巡らしてみることが重要だと思います。毎日5分、10分で良いと思います。神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことを習慣にされることをお勧めいたします。サイトからの引用は以上です。( )内は私のコメントです。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は日本人の生き方に深く関係していると思います。キリスト教の教典や宗教としてではなく、自己中心を退け、神様を中心にして生きる幸いを知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 13章31~35節

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国(みくに)は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」

イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」

神様を中心にするとどうなるのか

自己中心を退け、神様を中心にして生きるとどうなるのか。イエスはたとえで話されたのだと思います。群衆は「からし種」を良く知っていたと思います。それは種というより、粉のように小さな粒です。ところが畑に蒔くと、木のように成長します。神様の願いや思いを中心にして生きるとは、小さな小さな始まりかもしれませんが、大きな成長をもたらすことになると教えたのではないでしょうか。

ふわふわのパンに変化させる

「パン種」とは、イースト菌とか酵母と呼ばれるものでしょう。小麦粉に練り込めば、粉全体を発酵させ、量が増えるだけでなく、カチカチの粉をふわふわのパンに変化させます。自己中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きるなら、その人生の質そのものを変化させることになるということではないでしょうか。

それは理屈ではなく、実践

「からし種」は畑に蒔かなければ、いつまでも「からし種」のままでしょう。「パン種」も粉に練り込まなければ、粉を膨らませることもないでしょう。それは理屈や説明ではなく、神様を中心にして生きる人が実感できる幸いだと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いを多くの人たちに知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、知り合いの方にもお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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