【日本とイスラエル】ユダヤ百科事典が伝えた日本

聖書

「ユダヤ百科事典」に載った日本とイスラエル十部族に関する記事について、ユダヤ人のラビ、マーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。

日本とイスラエル十部族との関係

今からおよそ70年前、第二次世界大戦前のことであるが、「イスラエルの宝」とも言われる有名な『ユダヤ百科事典』(The Jewish Encyclopedia)のヘブル語版に、日本とイスラエル十部族の関係に関する記事が載った。

日本の皇室と十部族

執筆をしたのは、編集者であるラビ=ユダ・アイゼンスタイン自身であった。彼は記事の中で、近年の研究はイスラエルの失われた十部族に関して新しい光をもたらしたと述べ、また日本人、とくに日本の皇室には十部族の血が流れているかもしれないと述べている。

年代的な一致

北王国イスラエルは紀元前722年、その最後の王ホセアの時代に、アッシリヤへ捕囚となった。一方、日本に最初の天皇、神武天皇が即位したのは、伝統的理解では紀元前660年である。時代的に非常に近接している。

神道と古代ユダヤ人の風習

また日本の神社は、拝殿と本殿の二つから成り、その構造は古代イスラエルの幕屋や神殿のものによく似ている。日本の神社の神主の服装——白い服、肩から膝までの四角い布、袴、帯、帽子等も、古代イスラエルの祭司のものによく似ている。

先祖への敬意

イスラエル人が父祖アブラハム、イサク、ヤコブ等に深い敬意を払うのと同様に、日本人は自分たちの父祖に深い敬意を払う。日本人の先祖を描いた絵を見ると、しばしばそれがユダヤ人の容貌によく似ている。そういったことを、アイゼンスタインは書いている。

S.M.ラザーが語った日本

1908年に、イスラエル十部族の運命について書いたS.M.ラザーの『十部族の謎と解答』という本が出版された。その内容は次のようなものである。

——日本は、50年ほど前になってようやくヨーロッパに知られるようになった。ヨーロッパ人は日本に対する知識不足により、日本人を神秘と伝説の目で見た。とくに日本が日清戦争(1894~1895年)で超大国・中国を破ったときに、その思いは増幅された。

日本人は失われた十部族なのか

多くの夢想家たちは、日本人はイスラエルの失われた十部族なのではないかと思うようになった。その根拠とされたものは多い。

古代の記録に見る一致

たとえば日本の伝説によると、日本人の父祖たちはもともと西の地にいたが、あるとき東に旅立つことを決め、ついに日本列島にやって来たということになっている。一方、古代ユダヤの文献『エズラ第四書』(エスドラ書ともいい、西暦1世紀末に書かれた。外典の一つ)には、イスラエル十部族は東に向かうことを決意し、歩いて一年半かかる遠い国に旅立ったと書かれている。

日本の伝統はこれによく似ている。日本の初代の天皇(神武)は、民を引き連れて、多くの労苦と長い旅のすえに紀元前660年に大和の地に来た。神社に保存されている古代の絵画には、この旅の様子が描かれている。(本からの引用は以上です。)

日本人とユダヤ人の関係

私は紀元前に北イスラエル十部族、続いて南ユダ二部族の人々がシルクロードを東へと向かい、日本までやって来た可能性は十分にあると思っています。また、その後も渡来人は続き、紀元3世紀頃にはイエスの弟子たちの末裔もやって来て、秦氏と名乗ったのではないかと私は考えています。多くの人々がそれを裏付ける事を言っています。少なくとも日本人とユダヤ人の関係は否定できないように思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の教えが記された教典ではなく、神様を中心として生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人と深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人の生き方の原点を知るためにも聖書を読んでみていただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 13章36~43節

それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国(みくに)の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。

毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。

人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

世の終わり

イエスは世の終わりに神様を中心にして正しく生きた者と自己中心のまま不正を行って生きた者をはっきりと区別されることを教えているようです。それは文字通りそのようなことがあるのか私には判断できませんが、少なくともイエスは自己中心を退け、悪を退け、神様を中心にして正しく生きることを教えたことは事実であり、私もそのように生きるべきだと思います。

耳のある者は聞きなさい

私はそれが人として幸いな生き方であり、人間のあるべき姿だと実感しています。それは何かの宗教団体の信者になることではないと思います。自己中心を退けて、神様を中心にして生きることだと思います。それが太古の昔から日本人が引き継いで来た生き方ではないでしょうか。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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