良い人間関係を築くためにコミュニケーション能力は大切な要素かもしれません。人間関係やコミュニケーションが上手な人にはどのような特徴があるのでしょうか。「簡単だけど効果絶大!コミュケーション能力が高い人の特徴」というサイトには次のようにまとめられていました。
コミュニケーションが上手な人の特徴
- 話を聴き逃さない
- 気持ちを汲みとり、察する
- 伝わる話の組み立て:目的・結論を明確にする
- 効果的な喩え話をつかう(メタファ)
- 自己開示の活用
- 人の思考パターンや傾向を理解し活用する(人間心理の理解と活用)など
傾聴がとにかく大切と言うけれど
相手の言葉に耳を傾け、その気持ちを受け止めてあげることは信頼関係を築く上で重要だということは以前にもこのブログで書きました。それは相手に関心を持つということだと思います。傾聴は相手を尊重することに他ならないと思います。会話の8割は聞くことに集中しても良いかもしれません。
伝わる話し方
話し方について触れられています。相手の関心も考えずに、言いたいことを一方的に話すのでは良い関係は築き難いのではないでしょうか。ましてや自慢話や人の悪口では関係を悪くしてしまうこともあるでしょう。大切なことは相手の興味や関心に合わせて、分かりやすく話すことだと思います。ポイントを明確にして、何を伝えたいのかを良く整理して話すと良いのではないでしょうか。これもまた相手への配慮ではないでしょうか。
効果的な喩え話
確かに説明だけでなく、具体的な例をあげて話すと分かりやすいと思います。「一生懸命練習しなさい」と言うよりも、「イチローは毎日素振りを欠かさなかった」という話の方がその気になると思います。効果的な例話は印象にも強く残ると思います。
自己開示
「自己開示」とは自分のことを包み隠さずに話すということだと思います。特に自分の失敗談などは誠実さと謙虚さを伝え、この人の話は信用できるという信頼感を生むのではないでしょうか。人からの信頼を得るための近道は、相手を信頼することではないかと思います。信頼すれば裏切られることもあるかもしれませんが、傷つくことを恐れずに、それでも信頼するという生き方があっても良いのではないでしょうか。(もちろん、悪意をもった詐欺師には注意した方が良いでしょう。)
人の思考パターンを理解する
心理学やカウンセリングなどの勉強も有効かもしれません。経験も大切だと思います。人はこのような傾向があるということを知っていれば、予測力を持ってコミュニケーションを取ることができるでしょう。確かに人間関係、コミュニケーション能力が高い人は高い予測力を持っていると言うことができるのかもしれません。つまり経験豊かだと言うことができるかもしれません。
神様を中心にする
良い関係を築くために、自己中心ではいけないことは明らかだと思います。しかし、相手を中心にすることは決して単なる方法論ではないと私は思います。今日、ご紹介した内容もまた、こうすればうまくいくというハウツーではなく、神様を中心にすることに他ならないと私は思います。神様を中心にするから、相手を大切にし、相手を尊重し、相手を思いやることが可能になると私は思います。それが神様の願いであり、神様の思いだからです。そうではない単なる相手中心は、その反動でまた自己中心になってしまう危険性を孕んでいると私は思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではありません。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の生き方にも深く関係していると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きる日本人の心を知るために聖書を参考にしていただきたいと思います。
新約聖書 マタイの福音書 14章1~12節
そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。
ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。
ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。
彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
ヘロデの証言
いくつかのことを考えさせられました。1つは「あんな力が彼のうちに働いている」という国主ヘロデの言葉です。やはりイエスを通して神様の超自然的な力が働いていたことは事実だったのではないかと思います。
心を痛めたヘロデ
2つ目は、ヘロデはヨハネを殺したいと思っていたのだから、ヘロデヤの娘がヨハネの首が欲しいと言った時に、「しめた!」と思っても良さそうなものですが、心を痛めたとはどういうことなのかと思いました。ヘロデにも良心の呵責があったということなのでしょうか。
自己中心の姿
3つ目は、自己中心に生きるヘロデの姿です。良心のない人はいないでしょう。ヘロデにも葛藤はあったのかもしれません。良心に語り掛けられる神様の声を、酒を煽って退けたりしたのでしょうか。しかし、そのような人生を生きて、どんな喜びがあるのでしょうか。神様を中心にして生きること。そこに人間の尊厳、喜び、深い満足があると私は思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。