【恋愛・結婚】夫婦円満の秘訣

プリンセス

「夫婦円満の秘訣」というブログ記事を読んでいたら、心に響く言葉がいくつもありましたので、ご紹介したいと思います。

赦すこと

「赦せるか赦せないかの目安は相手の過失の大きさではないと思います。自分の心の器の大きさだと私は思っています。」

結婚生活を崩壊させることを望まず夫婦関係を修復したい、幸せな結婚生活を取り戻したいと思われるなら、「赦す精神」はとても大切だと思うのです。相手を赦せず苦しんでいるなら、まず自分の心を豊かにできるように努力してみましょう。

(もちろん、赦してくれることをいいことに、悪意を持って人を傷つけ、悲しませる行為を止めようとしないということであれば問題外だと思います。しかし、過失は赦すことが大切だと思います。それは神様に喜ばれることだと思います。)

褒めること

「人というのは面白いもので、誰かから褒められたり感謝されたりすると何かでお返ししたいと思うのです。」

(ブツブツ不平や不満を言えば、人は仕方なく動いてくれることもあるかもしれませんが、あまり健全な方法とは言えないと思います。ちょっとしたことでも感謝の気持ちを言葉にして伝えることは大切なことだと思います。「ありがとう」を伝えましょう。それもまた神様に喜ばれることだと思います。)

夫をリーダーとする

「家庭の中で、クイーンが存在するようになると夫は自尊心を失います。あなたは幼い頃から、プリンセスになりたかったのではありませんか?」

女の子とは自分を「プリンセス」と信じて大きくなるんですね。でも、それも独身の間が限界です。結婚すると、なぜか途端に「プリンセス」が「クイーン」に変わってしまう人が多いのです。まるで魔法が解けてしまったかのように。

クイーンは家族の決定すべてを掌握しています。妻の了解ないしには、何も決められないという家庭は少なくありません。そんな妻の悩みは「もっと頼りがいのある夫になって欲しい」です。

もし、過去の自分を思い出して、確かに自分が「クイーン」だと感じたのなら、どうぞ「プリンセス」の気持ちを思い出してください。

(男は本当はプリンセスを守るプリンスでありたいと願っているのかもしれません。いくつになっても。☺)

聖書を読みましょう

いかがでしたでしょうか。どれも神様が喜ばれることであり、神様を中心にして生きることだと思いました。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は私たち日本人の生き方に深く関係していると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるための参考にしてみてください。

新約聖書 マタイの福音書 14章22~33節

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。

しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。

弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。

水の上を歩く

イエスは水の上を歩いて弟子たちの舟までやって来ました。ペテロも途中までではありますが、水の上を歩いたことが記されています。私自身は水の上を歩いたことがないので、こういうことが事実としてあったのかどうかは分かりませんが、否定もできないと思っています。

なぜ疑うのか

ただ、神様を中心にして生きる中で、ペテロのように「こわくなる」こともあるかもしれないということを思いました。そのために文字通り命を懸けるという場面はそう多くはないかもしれませんが、必ずしも他の人と同じ生き方ではない、これまでの慣例ではない、必ずしも人からの理解が得られないような時には「こわくなる」こともあるかもしれません。「信仰が薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロは言われました。確かに神様を中心にしないというなら、他にどんな生き方があるというのでしょうか。もちろん、無理をすることではないと思いますが、確信を持って神様が良心に示されることに従って歩んで行きたいと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの人に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、お知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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