【子供の教育】賜物(才能)と善悪の心

水中の子供
子供の教育に関する質問

「頭の良い子はどういう環境で育ったのでしょうか。どういった教育の仕方で子供の感性や自立心が育つのですか?やはり茶道やピアノなどいろいろなものを習わせないとダメなんでしょうか。」という質問をインターネットで見つけました。次のような回答が寄せられていました。

個性を伸ばす

習い事と頭の良さはあまり関係ないと思います。 教育法よりも一人一人の個性を伸ばす方が大事です。 親が好きじゃない事だから子供には勉強させないと言う態度が一番いけないと思います。

親の好みではなく

例えば母親は可愛らしい事に興味を持って欲しかったが、娘は昆虫の採取が好きで、解剖に興味を持った。ここで「あらいやだ」と子供を否定するか、「この子の興味がある事なんだから伸ばしてあげよう」と考えるかで、ただの解剖が好きだった変な女の子で一生を終わるか、生物や医学などの専門家になるか、決まってしまう事もあるように思います。

子供の才能を信じる

私の学校で一番優秀だった人は、家族が非常に子供を信じていたし、否定せずになんでも応援して育てていました。でも元々彼は生まれつき頭が良かったと思います。 努力家でもあったけれど、あまり努力しなくても頭が良かったはずです。

認められない子供

ふてくされた子供は、親が何か困った事があると子供のせいにしていました。 そして褒められずに育った人が多いです。人と比べて自分の特徴に気がついてもらえず、気がついてもらえても、長所としてでなく短所としていつもしかられていた人に多いです。親が気に入らないから得意な事を止めさせるという事が続いた子供も大人になって成功しにくいです。

認められて育つ子供

やはり自分の能力を発揮してまっすぐ生きる人は、子供の頃に子供が中心で育てられた人が多いです。 もちろん甘やかすのとは違います。 ただ仕事よりも子供のほうが大切だと考えていた親が多いはずです。(サイトからの引用は以上です。)

賜物(才能)

人はそれぞれ神様から何かしら賜物(才能)を与えられていると私は思います。何かに特別関心を抱くのも神様からの賜物ではないでしょうか。それが親の好みとは違っていても、神様から与えられたものですから、親が勝手に否定しないように気をつけた方が良いと私は思います。好きなことであれば、労を惜しまず熱中して取り組むので、どんどん成長すると思います。

善悪の心

「子供が中心」を誤解してはいけないと思います。この方も「甘やかすのとは違う」と言っています。つまり、子供の興味や関心を尊重することが大切であって、それと同時に善悪の心をしっかりと身につけさせる教育も私は大切だと思います。親を尊敬し、その言うことに素直に従うこと。嘘をつかないこと。友達に優しくしてあげること。過ちを認めて謝ること。それは個性ではなく、誰もが人として身に付けるべきことだと思います。この賜物と善悪の両輪があって、子供は与えられた力を十分に伸ばし、発揮することができるようになると思います。それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きることに他ならないと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史であり、記録だと思います。また、私たち日本人の信仰、伝統、文化に深い関係があると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 16章1~4節

パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せてくださいと頼んだ。しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。

イエスをためそうとした

「天からのしるし」とは証拠を見せろということなのでしょう。この直前にあった一万人以上の人々がパンを食べて満腹したという超自然的な奇蹟を見なかったのかと不思議に思いますが、結局、真実を求めているのではなく、まず反対ありきの態度であれば、何を見ても見えないということなのではないでしょうか。

誰でも正しいと分かること

自己中心を退けて、神様を中心にして正しく生きることは正しいことだと思います。証拠も説明もいらないと私は思います。何かの思想や宗教的な偏見がなければ、誰もがその通りだと、その良心で判断することができることではないでしょうか。理屈や説明ではなく、神様を中心にして生きることが大切だと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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