【恋愛・結婚】42歳独身女性の生きがい

女性の後ろ姿

これまで神様を中心とした恋愛、結婚について書いて来ましたが、今日は「独身」について考えてみたいと思います。こんな質問がありました。

生きがい

42歳独身子供なし女性。仕事は業務委託契約、貯金はちょっぴり。一人暮らし、彼氏なし。老後のことが不安ではありますが、今のところせっぱつまっているほどでもなく、特別不幸だと思うことはありません。逆に「これが生きがい!」という喜びや心の支えもありません。

40代独身子供なし女性の方、何を生きがいに、心の支えに日々生きていらっしゃいますか?よかったら聞かせてください。

この質問に対して、様々な意見が寄せられていました。いくつかご紹介いたします。

生きがいって何でしょうね?

もし違った人生を歩んでいたとしても、きっと「正しい道を選んだのか?」と悩むんだろうなと思いますが、自分を突き動かす何かが欲しいと私も感じています。

独身貴族で、がんばっています

B’Zのコンサートにいったりして、人生を楽しんでいます。旅行などに出かけて、たのしんでみては?

私も最近、とみに、同じことを考えていました

昔から好きだったお菓子作りとか、読書をして楽しんでいます。兄の子どもと遊ぶことも、とても楽しく、癒されます。毎日、何か好きなことをしたり、希望を持てると人生楽しくなりそうだと気づいたので、ちょっとづつ楽しみを増やそうとしています。お互いファイト!

生きがいって、そんなに必要かな?

誰でも生きがいを持って生きてると思います?実は、そうでもないんじゃないかな~って思います。だから、自分にはないって悩むこともないと思います。私は今、仕事に恵まれてるし(といっても特別な職じゃないですよ)いい人たちに囲まれて仕事できるだけでも、ありがたいって日々思ってます。結構、それだけでも十分なのかも?って思うくらいです。生きがいが欲しいって悩めるのは幸せなのかも?(笑)感謝して過ごしていれば、きっとヒントがやってくると思いますよ。お互い、今を大切にしましょう!

今の生活、フツーに幸せです

欲を言えばきりがありませんが、今の生活、フツーに幸せです。子供の頃からの小さな夢がいろいろかなっていること(海外在住、仕事、趣味)、これからもしたいことたくさんあるからだと思います。子供がいたらいたで悩みや問題はいろいろあるでしょうし、どんな状況でもメリットとデメリットがあると思います。(サイトからの引用は以上です。)

神様を中心にして生きる

結婚していても不幸な人はいるし、独身でも幸せな人はいるでしょう。幸いな人生と結婚、独身は関係がないと私は思います。確かに結婚したいと思っているのに結婚できない人、できなかった人もいるかもしれませんが、それもまた人生だと思います。神様は全てを知っていて、最善の人生を導いてくれていると受け止めて、感謝して生きること。それが幸いな人生ではないでしょうか。確かに結婚は人生の中で大きな出来事だと思いますが、決定的な出来事でもないと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の生き方のルーツだと思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしてみてください。

新約聖書 マタイの福音書 21章1~11節

それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」

これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って。』」

そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。

すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。

「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名(みな)によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」

こうして、イエスがエルサレムに入られると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか」と言った。群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」と言った。

いよいよ神の都エルサレムへ

予め手配してあったのでしょうか。イエスは弟子たちを使いに出し、ろばの子に乗ってエルサレムに入りました。イエスこそユダヤ人が太古の昔から待ち望んでいたメシヤ、神様から特別な権威を与えられた者、ダビデの子。イエスに従って来た群衆は歓喜と共に神の都エルサレムに入ったという出来事だと思います。

エルサレム中が騒ぎ立つ

するとエルサレム中の騒ぎとなりました。一体何事なのかということでしょう。「この方は、どういう方なのか」とエルサレムの人々は尋ねました。イエスに従って来た群衆は「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエス」だと言いました。これからエルサレムでどんなことが待ち受けているのでしょうか。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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