「小学生〜大学生」までに、初めて一人旅をした経験がある人は、「20代(大学生を除く)」「30代〜50代」より年収が高いことが分かったそうです。若くして一人旅に出た人ほど、仕事で成功を収める傾向にあるようです。なぜでしょうか。「若い頃に一人旅を経験した人ほど年収が高い!?」という記事からご紹介します。
一人旅で得られること
エクスペディア・ジャパンは、一人旅の経験がある20代~50代男女の有職者400名を対象に、一人旅に関する調査を実施したところ、2人に1人が「一人旅の経験あり」と答えています。一人旅を楽しんでいる人は、「自分だけで好きなことが出来る」だけでなく、他にも多く得ることがあるようです。一人旅派が得たものとは、いったい何でしょうか。
意識改革
一人旅を経験したことによる自分自身の意識の変化について、第1位が「一人で判断・決断できるようになった」(43%)、第2位が「チャレンジ精神がついた」(37%)、第3位が「考えが前向きになった」(25%)など、ポジティブな変化があることが分かります。勝手のわからない不慣れな土地では、得てしてトラブルが起こります。若くして一人旅に出ていると、状況の判断力が早くから身につくということですね。
社会性が身につく
また、生きていくには他人の力が必要。第4位の「知らない人と会話できるようになった」(20%)、第5位の「多様な価値観を受け入れるようになった」(19%)の社会性も早いうちから身につくことが望ましいものです。若い頃の苦労は買ってでもせよと言いますね。
運命の出会いがあるかも?
一人旅を通して、3人に1人が友達か恋人ができたそうです。その中でも、約10人に1人は、恋人にまで発展したという結果になりました。旅を通じて出来た仲間や恋人は、得難い旅の宝物ですね。
人生は一人旅
一人旅といっても、何から何までひとりでできるわけではありません。同行者がいない分、旅先で出会った人や、現地の人の力を借りる場合が多くなります。困った状況に陥ったとき、人のありがたさをしみじみ感じることもあるでしょう。
人間はひとりで生まれ、ひとりで去っていきます。「人生は一人旅」なのです。それでも時には差し出された手につかまり、時には自分の経験が相手を助ける場合もあります。旅も人生も、一期一会。出会いや経験が、人を作っていくのです。
一人旅経験者の約半数は「5回以上」一人旅をしたことがあると回答、また4人に1人は10回以上もしているという結果が出ています。自分を成長させる一人旅の面白さに気づいたからなのかもしれませんね。(サイトからの引用は以上です。)
実践で学ぶ
そこには人生の縮図があると言えそうです。若い内から実践を通して「生きる」ことを学ぶことは有益だと思います。日本では昔から可愛い子には旅をさせろと言われたはそのためなのでしょう。自己中心を退けて、神様を中心にすることの幸いもまた、頭の中の理解だけでなく、実際の生活の中で体験的に知ることが大切だと思います。一人旅に出てみましょう。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の実践の記録であり、私たち日本人の生き方にも深く関係しています。キリスト教の教典としてではなく、また単なる教えの書ではなく、神様を中心にして生きる実践の中で聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 22章1~14節
イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。「天の御国(みくに)は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。
『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
祭司長、民の長老たちに語ったイエスのたとえ話
ユダヤ教の祭司長、民の長老たちに語ったたとえ話ですから、招待しておいた人たちとは彼らのことを言っているのでしょう。神様はまずユダヤ人を選んで神の国に招いたのだと思います。ところが、彼らはそれをユダヤ教という宗教にしてしまい、神様を中心にしようとしないということを言っているのではないでしょうか。
礼服を着ていない人とは
そこでユダヤ人以外の人々を、良い人でも悪い人でも集めたらいっぱい集まった。ところが、婚礼の礼服を着ていない人がひとりいたと言っています。どういう意味なのでしょうか。少なくとも婚礼にふさわしくないという意味で言っているのでしょう。宗教はやっていても神様を中心にしない人、それは自分を中心にしているのだと思います。
神様を中心にして生きる人
結局のところ、ユダヤ人は神様から退けられたとか、ユダヤ人でない人であれば良いということではなく、ユダヤ人であろうとなかろうと、またキリスト教徒であろうとなかろうと、神様を中心にして生きる人こそ神様にふさわしい人だということを言っているのではないでしょうか。自己中心を退けて、神様の思いを中心に生きること。それが神様の人類に対する願いだと思います。
選ばれる人?
全人類が一人残らず神様の国に招かれていると私は思います。招待されていない人は一人もいないと思います。しかし、選ばれる者は少ないとあります。それは自己中心を退けて、神様を中心にする人のことを言っているのだと思いますが、それを「選ばれる者」と言っているのは不思議ですね。なぜ、選ぶのでなく、選ばれると言ったのでしょうか。神様から選ばれないと、そのことが見えないということなのかもしれません。自分の頭で分かってやろうということではなく、分からせていただくものなのかもしれません。もしかしたら、一人旅などの実践を通して、私たちはそのことを分からせていただける。そういうものなのかもしれません。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。