個人的な人生の目的。それはライフワークと言うことができるでしょう。単なる自己満足ではなく、本当に悔いのない人生を生きるにはどうしたら良いのでしょうか。自己中心を退けて、神様の自分に対する願いや思いを中心に考えてみることをお勧めしていますが、そのための良い質問を見つけましたのでご紹介いたします。「週末にカフェで取り組もう!『人生の目的(ライフワーク)』が見つかる15の質問」です。
はじめる前に、以下の準備をしましょう
- 持ちもの
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- 気軽にメモできるように紙をたくさん用意しましょう
- 大きい紙を準備しておくと、発想も広がるかもしれません
- 使いなれているペンを用意しましょう
- 付せんがあると、紙に書ききれなくなっても、さらに書き足せて便利です
- 書き方
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- あたまに浮かんだそのままを書きましょう(直感が大事)
- 連想ゲームのようにどんどん書きたしましょう
- スピーディに書きましょう
- 最後にまとめるので、はじめは書く質より量を重視しましょう
- だれにも読まれないので、恥ずかしいことでもバンバン書きましょう
- 答えやすい質問から順に書いていきましょう
- マインドマップで書くとより効果的です
- 心の準備
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- 携帯電話をオフにしましょう
- トイレをすませておきましょう
- はじめる前に笑顔で目をつむり、5分ほど素晴らしい人生を夢想しましょう
- 映像が浮かんだり、感覚を感じたり、言葉が浮かんできたら書き始めましょう
- 終始、笑顔で夢想しながら書きましょう
- やってはいけないこと
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- 書きながら自分を否定すること
- あきらめムードではじめること
- 途中であきらめて帰ること
- 眉間にシワを寄せて考える事(空想しましょう)
あなたの人生の目的がわかる15の質問
- 今までの人生でやったことで、好きなこと、楽しかったことは何ですか?
- 時間を忘れてしまうほど、没頭してしまうことは何ですか?
- あなたをニッコリさせてくれるものは何ですか?(活動、仕事、人、イベント、趣味、持ちもの)
- 「私って最高!」と思わせてくれるものは何ですか?どんな時ですか?
- あなたに影響をあたえた人はだれですか?(知っている人、知らない人、家族、友人、作家、アーティスト、リーダーなど)
- あなたが得意なことは何ですか?(特技や才能など)
- あなたがみんなによく聞かれることは何ですか?
- もしみんなに何かを教える機会があったら、あなたは何を教えますか?
- あなたが本当はフルパワーで取り組みたいのに、遠慮したり踏み出せなかったり不完全燃焼していることは何ですか?
- あなたは90歳になりました。庭でいすにすわり、ここち良い春風を感じています。とても幸せな気分を味わい人生の祝福に感謝しています。今、人生をふり返って、成し遂げた仕事、最愛の人、手にいれたものの中で何が大事でしたか?それらをリストアップしてください。
- あなたが大事にしている価値は何ですか?(回答用紙から選んで、大事なものから順に並び替えてみてください)
- あなたが立ち向かった大きな苦難やチャレンジは何ですか?それをどのように乗り越えましたか?
- あなたの強く信じる理念・信念は何ですか?
- あなたが大勢の人にメッセージを伝えるとしたら、どんな人たちにどんなメッセージを伝えますか?
- 人びとへの貢献に自分の才能や情熱を使うとしたら、あなたは何をしますか?
人生のミッションをシンプルな一つの文章にしよう
最後に、これらの15の質問で考えたことをまとめて、シンプルな一つの文にまとめましょう。これからの人生、いつでもそれに立ち返って生きていけるような、そんな文章にするのです。余計な言葉を省き、簡潔に、あなたらしい言葉で。それがあなたの「人生の目的」です。(サイトからの引用は以上です。)
神様を中心にする
神様の私に対する願いや思いをこうして知ることができるのではないでしょうか。今日、ゆっくりと時間を取ってみてはいかがでしょうか。それは神様との豊かな会話の時間になると思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の生き方でもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 22章23~33節
その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。
ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、七人とも同じようになりました。そして、最後に、その女も死にました。
すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」
しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
かつては日本にもあった
世界中にそのような風習があるのか分かりませんが、家が断絶することがないように、かつては日本にもこのような風習があったようです。旧約聖書がその起源なのかもしれません。
聖書は議論ではなく実践
サドカイ人とはエルサレム神殿で祭司職を務める人々ですが、復活を巡ってイエスに議論をしかけて来たのでしょう。イエスは「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからだ」と言いました。聖書の解釈を巡って、机上の議論をしたところで、聖書を知ったことにはならないと思います。
生きている者の神
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。今、自己中心を退けて、神様を中心にして生きる。それが大切なことではないでしょうか。聖書の解釈とか、宗教の教義ではなく、それぞれが神様を中心にして、「生きる」ことを深めることが大切だと思います。
いかがでしたか
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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。