【恋愛・結婚】結婚とは何ですか?

こんな悩み相談を見つけました

結婚について悩んでいます。一度婚約したのですが、マリッジブルーになり、婚約を破棄しました。その後復縁したのですが、それでも結婚に踏み切れず、現実逃避からか別に好きな人ができてしまい、その気になる男性からも結婚を前提にした付き合いを迫られています。けれども、私は考えれば考えるほど、結婚というものが分かりませんし、結婚が怖いです。20代後半という年齢のせいか世の中的にも家族からも好きな人からも結婚という無言のプレッシャーを感じるのですが、それがなんとなく苦しいです。

どうして今まで何十年と誰かと付き合ったことがないのに、これからの一生一人の人と付き合っていく決意ができるのか。また、別の人と関係を持つと社会的に犯罪になることや、離婚すると社会的に不利な立場になるという逃げ場がない状態になることは怖くないのか。明日自分や相手にどんな風が吹くかなんて誰にも分からないことなのに、そんな曖昧な未来に責任が持てるのか。

昔はなんとなく、いつか結婚して子供を持ちたい、それが幸せ、なんて軽く考えていたのですが、いざ結婚が目前に迫り、ちゃんと考えてみると、結婚てとても重いことのように感じます。みんなの期待にこたえて結婚して幸せになりたいという気持ちと、結婚を深く考えれば考えるほど難しいし怖いという矛盾した気持ちの中にずっといます。

結婚とは何なのでしょうか

いろいろな回答が寄せられていましたが、一つご紹介いたします。皆さんはどう思われますでしょうか。

私は既婚者です

あなたの質問内容を見ていると、その人とは実は結婚をしたくないんじゃないかな~と思いました。

周りから人生最大の決断を焦らされるなんて、それは逃げたくもなりますよー!結婚は自分が望んで自分のためにするんです、他人のためじゃあないです。まず、自分が本当に結婚というのを望んでいるのか、自分にとって結婚って何かを考えて。自分の幸せは自分にしか分からないので!!!

結婚は夢物語でも何でもない、現実なんです。結婚してからもちろん夫婦はいつまでも新鮮さを保てる。そして長年連れ添ったからこそ出来る絆と愛情はまた別格だと思います♪その両方をバランスよく保てるように、お互いに仲良くする努力はずっと続けるのが当たり前だと私は思っています☆

私は結婚に憧れていました。マザーテレサの「世界平和は家庭から」みたいな言葉が忘れられず、愛する人と家庭を築いて、愛情たっぷりで笑いの耐えない中で強く優しい心を持った子供を育てて、より良い社会を作っていけるような大人を自分の家庭から巣立たせたい!と思っていたからです。

旦那と不安なく結婚できたのは、この人とならそんな平和な家庭が築けそう、おじいちゃんおばあちゃんになっても手を繋いで公園を散歩してる想像が簡単に出来たからです♪

もちろん、結婚が全てのみんなの幸せではないです。結婚は、ただの制度です。私にとって結婚という形をとって、幸せに生きていく方法を見つけられただけです。独身でも心から幸せな人生を歩んでる人だっています。結婚してても独身でも、幸せな人はいるし、幸せじゃない人がいますよね。自分がどういう人生を歩みたいのかが、自分で分かってそれに進むことですよね♪

もう一度、周りに影響されないで、自分はどう思っているのか知ることですよ~~
周りに押されていやいや結婚しちゃうと、ずっと不満のたまった結婚生活になっちゃいますよん。。(サイトからの引用は以上です。)

神様を中心にして生きる

自己中心ではなく、神様の思いや願いを中心にして生きることが本当の幸せだと私は思っています。この回答者が言っている、「この人と結婚したい」という思いは単なる自己中心ではなく、神様の願いに叶うものであり、それは幸いな結婚だと私は思います。それは決して何かの宗教の教えに従うことでも、神秘的なことでもなく、神様の願いを中心にして、自分の良心に正直に従うことだと私は思っています。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の生き方の源泉でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 17章22節

彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。

人の子は殺され、三日目によみがえる

「人の子」とはユダヤ人の間で昔から言い伝えられ、旧約聖書にも約束されたメシヤのことであり、イエスは自分の事を指して言ったのだろうと思います。神様から特別な油注ぎを受けたメシヤが殺される。しかし、三日目によみがえる。それは何のためなのか、そこにどんな意味があるのか。ここでイエスは何も説明していません。ただその事実だけを伝えているようです。

彼らは非常に悲しんだ

ただ、以前にイエスが同じことを言った時には、ペテロがそんなことは起こるはずがないと言いましたが、今回は誰もそのように言う者はなく、非常に悲しんだとあります。2回目にして、イエスの言ったことをそのまま受け止めたということなのかもしれません。同じ話ですが、何度も繰り返し聞くことで、受け止められるようになることもあるのかもしれません。メシヤの死と復活について、イエスはどんな思いで語ったのでしょうか。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。