仲人でライターをされている鎌田れいさんのサイトから、元のタイトルは「結婚に3回失敗した男が知った『結婚の真理』」という記事を抜粋要約してご紹介いたします。
裕紀(42歳、仮名)
身長172センチメートル、今でも休みの日には友達とフットサルをするというスポーツマン。体はほどよく引き締まり清潔感もある。学生時代や20代の頃はさぞモテただろうと思いきや、学生時代は女の子と付き合ったことがなかったという。29歳の時、初めて心を寄せた女性がいたが、その女性は投身自殺をしてしまった。
恋愛をしたくなくなった
ただ「日にち薬」とはよく言ったもので、1年、2年と月日が経つうちに悲しみも癒え、「いい縁があれば恋愛もしたいし、結婚もしたい」と思うようになった。友人たちに誘われれば、飲み会やバーベキューにも参加するようになり、そこで女性を紹介されて、お互いに気が合えば連絡先を交換し、食事にも出掛けるようになった。しかし、そこから恋人同士の関係に発展する人はいなかった。
結婚相談所
結婚相手を見つけるには、「結婚したい」という気持ちがある人に出会ったほうが早い。そう思った裕紀は37歳の時に、結婚情報センターに入会した。ところが、結婚を決めた相手から結婚を破棄され、私のところにやってきたのだ。
相次ぐドタキャン
実は私のところでも、1度結婚を破談にされている。活動を始めてから1カ月足らずで 「真剣交際」に入る女性が現れ、3カ月後にはプロポーズまでこぎつけたのだが、1週間後、「やっぱり結婚は考え直したい」と相手が言ってきたのだ。相次ぐドタキャン。
彼女の提案を受け入れ、5月に退会
そんな裕紀だったが、去年の5月に39歳の女性との成婚を決め、退会していったのだが、彼からのプロポーズを受けた彼女は、「1年は婚約期間で付き合って、本当に2人がうまくやっていけるのかを確かめてから入籍をしたい」と提案して来たという。
どんでん返しがありませんように
わたしは「彼女を信じて1年を費やして大丈夫なのだろうか」と正直なところ心配だった。それから1年が経ち、ゴールデンウイークの吉日、裕紀からメールが来た。「先日両家のあいさつも終えて、今日、入籍しました。結婚式はしないけれど、ドレスとタキシードの写真だけは撮ろうと思っています」
ついに入籍だね。オメデトー!
先日、久しぶりに裕紀が事務所に遊びに来てくれた。その時に、こんなことを言っていたのが印象的だった。「〝相手のすべてを好き〟って言えるのは、結婚して最初のうちだけなんじゃないかな。長年一緒にいれば、好きなところもあれば嫌いなところもでてくる。でも、それをてんびんにかけた時に、好きなところが勝っていたら側にいたいって思う。この間彼女が、『あなたはマイペースな人だけれど、そのマイペースさが嫌じゃない』っていったんですよ。こっちとしては、『おいおいおい、マイペースなのはそっちだろ!』って突っ込みたくなった(笑)。けど、お互いにそれを認め合えるから、一緒にいるんだと思うんですよね」
いいこと言うなぁ〜。相手のすべてが好きじゃなくてもいい。でも、ずっと変わらずお互いを思い続けていってほしい。裕紀、おめでとう!(サイトからの引用は以上です。)
神様を中心にするとは、人生を深めること
結婚は必ずしも全ての人にとって人生の目的ではないと思いますが、人生の目的にもなり得ると思いました。それは結婚がゴールということではなく、結婚を通して色々なことを学び、人間的に成長することができると思うからです。もちろん、結婚すれば学べるということでもないと思います。大切なことは、結婚しても、しなくても、それぞれの人生を通して、自己中心を退け、神様の願いや思いを中心にするとはどういうことなのかということを深めることではないでしょうか。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の信仰と生活のルーツでもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を深めるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 23章29~36節
わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。
こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
それは正義に対する反逆
義人アベル、バラキヤの子ザカリヤなど、ユダヤ人の歴史や旧約聖書の知識がないと分からない名前が出て来ますが、それが分からなくても、これまでユダヤ人やユダヤ教の中心的な人たちは神様の思いや願いを中心にせず、自分たちの思いを中心にし、神様がそれを指摘して正そうと預言者を送っても、その預言者を殺して来たということをイエスは言っているのだという事は分かると思います。
これらの報い
「まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。」とイエスは警告しました。しかし、このイエスの警告にも耳を傾けず、ユダヤ教の中心的な人たちはイエスを十字架につけて殺してしまうことになります。そして、イエスが警告したように、イスラエルはローマによって完全に滅ぼされ、世界中に離散することになります。それは歴史上の事実です。
神様の願いに応えて生きる
目には見えませんが、確かに歴史を支配している神様はいるということが分かると思います。大切なことは自己中心、人間中心を退けて、神様の願い、神様の思いを中心にして生きることです。それが神様の私たちに対する思いであり、願いだと思います。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。神様の願いに応えて生きること。それが私たちの本来の姿だと思います。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。