【人生の目的】人生の目的とは|自分の人生の目的を見つける方法

若者たちジャンプするシルエット

「5セカンズ『人生の目的とは|自分の人生の目的を見つける方法』」というサイトから抜粋して紹介し、神様を中心にした人生の目的について考えてみたいと思います。

人生の目的がないと、生きる意味も失う

もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。

人生の目的とは

「人生の目的とは、生まれてきた目的を果たすことにある」アメリカのミリオネア、成功コーチ、そしてベストセラー作家のジャック・キャンフィールド氏は言います。「私達は皆、それぞれ独自の人生の目的を持って生まれてきている。私達は皆、理由があってここに存在し、それぞれは周りに貢献をするためにここにいる。あなたが、人生の目的に沿って生きている時、あなたの行動の全てに最高の喜びと達成感を感じることができるだろう。」

人生の目的の見つけ方
  • 心が躍る写真をボードに並べる。
  • 自分を偽らない。
  • 他の人を幸せにするために何が出来るかを考える。
  • とにかく行動する。
    (サイトからの引用は以上です。)
神様を中心に考える

自分ではなく、神様を中心に考えるなら、人生の目的は確かにあると言えます。たとえそれが自分ではまだ分からなかったとしても、目的があるから命が与えられ、今生かされているのです。神様を中心に考えるならそうだと思います。ですから、たとえ困難があったとしても、私たちには生きる目的があるのです。

人を愛するため

「私達は皆、理由があってここに存在し、それぞれは周りに貢献をするためにここにいる。」とこのサイトにはあります。私も全くその通りだと思います。自分が中心になっていると不平不満が出やすいですが、人にフォーカスするなら、喜びがあると思います。それが私たちの存在意義であり、神様の目的だと思います。

祈りと行動

「心が躍る写真をボードに並べる」というのは、思いをポジティブにする方法だと思います。もっと有力な方法は神様に思いを向けて祈ることだと思います。目には見えませんが、全てを支配している全能の神様に子供のように信頼して、「神様」と祈る時に、私の心は「大丈夫」「平安」「安心」「喜び」といったポジティブな思いで満たされます。これは理屈ではありません。親と一緒なら子供は安心して海外旅行でも行けるのと同じような感覚ですね。お勧めします。

そして、神様の前では何も偽る必要がありません。本当の自分の思いが素直に出て来るようになると思います。そして、「そうだ!」と何か思いが与えられたら、実行することです。まず一歩を踏み出すこと。二歩目はそれから考えれば良いと思います。このように神様は私たちの心に働いて、一歩ずつ導いてくれると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。もっと深く神様を知るための一つの方法です。聖書は決して何かの宗教の戒律が記された教典ということではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の信仰のルーツなのです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にした生き方を深めるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 23章37~39節

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名(みな)によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」

ああ、エルサレム、エルサレム

パリサイ人、律法学者。ユダヤ教の指導者たちに向かって語られたイエスの言葉の続きです。神の都エルサレム。そこはユダヤ教の総本山である神殿がある場所です。本来、神様を中心にして生きる喜びで満たされる所でなければならないのに、彼らはそれを宗教にしてしまい、人間中心にしてしまいました。神様は何度も預言者を送り、神様を中心にするようにと語りましたが、彼らはそれを拒みました。イエスもまた何度もそのことを語りましたが、彼らは受け入れなかったのです。

神様を中心にすること

イエスこそ神様から特別な権威を与えられたメシヤであり、「主の御名によって来られる方」として彼らがイエスを受け入れるまで、私を見ることはないとイエスは言いました。これが最後の警告だということでしょう。諸悪の根源は人間中心です。全ての問題の解決は神様を中心にすることです。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しております。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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