古代日本にユダヤ人は来たのか。日本ユダヤ教団のラビ(教師)として10年間日本で過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。
神道の神官になったユダヤ人
ヨセフ・アイデルバーグは、イスラエルから日本に渡り、1972年に京都の護王神社で見習いとして仕えるなどして、イスラエル十部族と日本の関係の研究に後半生を捧げたユダヤ人であった。アイデルバーグの研究は、『大和民族はユダヤ人だった』の題名で日本でも出版されている。(中略)
「ひい、ふう、みい・・・」はヘブル語
アイデルバーグは、日本語の「ひい、ふう、みい・・・」はヘブル語であると主張している。(中略)『記紀(古事記と日本書紀)』には、天の女神であるアマテラスが「天の岩屋戸」に隠れ、そのために世の中が真っ暗になった、という話がのっている。このとき、女神にそこから出てもらおうと、ウズメ(アメノウズメノミコト)がその前で踊り、また女祭司コヤネ(アメノコヤネノミコト)が、他の神々の見守る中「祝詞(のりと)」すなわち祈禱文を唱えた。記紀には、その祈禱文がどのようなものだったかは記されていない。しかし古い伝承によると、それが、「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とうぉ」であった。実際「ひい、ふう、みい・・・」は、今も神道の鎮魂法の祓詞(はらえことば)としても用いられている。
誰がその美しいかたを連れ出すのでしょう
この言葉は、日本語としてみると、とくにこれといった意味はない。ところが、これをヘブル語としてみると、非常によく意味の通る言葉として理解される。これは少し訛りを修正すれば、ヘブル語では、「ひぁ、ふぁ、み、よっ、つぃぁ、ま、なーね、やぁ、かへな、たうぉ」となり、(中略)意訳すれば、「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出て来るために、誘いにいかなる言葉をかけるでしょう」ということである。(中略)
「ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」
日本人はふつう、「ひい、ふう、みい・・・」と言うだけでなく、「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とうぉ」とも言う。(中略)「とつ」はヘブル語では「テツェ」、「ツ」はヘブル語では「ツェ」であろう。「テツェ」は「彼女は出てくる」(「出る」を意味するヤーツァーの三人称単数女性形)、「ツェ」は「出て来て下さい」(ヤーツァーの命令形)の意味である。
神々の応答
祭司コヤネが、アマテラスに出てもらおうと祈禱文を唱えたとき、周囲にいた神々は、コヤネの唱える祈禱文の一語一語に応答して、連禱をしたに違いない。たとえばコヤネが「ヒァ」と言うと、まわりの神々が「テツェ」といい、「ファ」と言うと、またまわりの神々が「テツェ」と言う、といった具合である。こうして「ヒァ・テツェ」(ひとつ)、「ファ・テツェ」(ふたつ)、「ミ・ツェ」(みっつ)・・・となった。そして最後の言葉「タウォ」(とうぉ)を唱えるときには、一同一斉に昭和した。「タウォ」とは、ヘブル語で「彼女は来る」の意味なのである(「来る」を意味するボーの三人称単数女性形)。こうしてアマテラスは、天の岩屋戸から出てきた。(中略)
古代日本にはヘブル語を解する人々がいた
祈禱文を唱えた女祭司の名「コヤネ」も、祭司を意味するヘブル語コヘンに似ている。(中略)これは古代の日本にヘブル語を解する人々がいた証拠だと、アイデルバーグは考えたのである。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心に触れるために、聖書を読んでみてください。
新約聖書 マタイの福音書 24章1~13節
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょうか。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
神殿破壊の預言
弟子たちは荘厳なエルサレム神殿に圧倒されたのでしょう。しかし、神殿は破壊し尽くされるとイエスは言いました。それは世の終わりではないかと弟子たちは理解したのでしょう。しかし、イエスはまだ終わりではないと言いました。そして、これらの出来事は文字通りA.D.70に始まりました。ユダヤ人はローマに対して独立戦争を起こしたのです。しかし、ローマは圧倒的な軍事力をもってユダヤ人を鎮圧し、エルサレム神殿も滅ぼされてしまいました。
流浪の民となったユダヤ人
ユダヤ教指導者たちはバルコクバという独立戦争のリーダーをメシヤ(キリスト)と主張してローマと戦いましたが、A.D.135には、ユダヤ人はエルサレムから完全に追放され、流浪の民となりました。イエスの弟子たちも他のユダヤ人と共にローマと戦いましたが、イエスをメシヤとする彼らはバルコクバをメシヤと受け入れることはできず、ユダヤ人としてのアイデンティティを持ちながらも、ユダヤ人社会から分離することになったようです。
日本にやって来た人々
しかし、最後まで耐え忍んで神様を中心にしたイエスの弟子たちは救われたのでしょう。彼らはシルクロードを通って、東へ東へと向かい、やがてその末裔が日本までやって来たと私は考えています。
いかがでしたか
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。