【人間関係】反面教師に学ぶ

嫌な人

私たちは人間関係で起こる問題を通して成長することもできます。ポイントは問題の捉え方です。「『職場の人間関係・改善術』苦しみ続けた私に効果があった24の方法」というサイトから、「反面教師として学び、感謝する」という記事をご紹介いたします。

問題を反面教師にする

あなたを悩ませる相手を反面教師にしましょう。人が成長するときは、お手本にできる師匠やメンター、逆境やピンチ、課題や問題、失敗やミスなどの存在を上げることができます。それにプラスして反面教師も大きな学びと気づきを提供してくれます。

反面教師の役割

実は反面教師には以下の様な2つの役割があり、あなたにかけがえのないメリットを与えてくれます。

  1. あなたを成長させる学び/気づき
  2. あなたが成長したことを確認する測り
学びを深める問いかけ

そして以下のような問いかけが反面教師からの学びを深めてくれます。

  • 反面教師に何を感じ、何に気づいたか?
  • 反面教師から、何を学んだか?
  • 反面教師の存在を通して、やると決めたこと、やらないと決めたことは何か?
  • 反面教師と同じような言動を自分は知らずにやっていないか?など
自分の中にある問題

さらに心理学の視点から見ると、反面教師があなたの人生に密接に関係していることがあります。例えば、小さい時から父親に対して怒りを感じている場合、自分の中に心理的な矛盾や葛藤が生まれます。すると矛盾や葛藤に向き合わされるかのように、父親に似た人が周囲に現れ、あなたがストレスを感じる存在になります。

原因は別の対人関係の問題

そんな時は、父親と向き合う、心のなかで許す・感謝するなどして、心理的な矛盾や葛藤を解消しましょう。その結果、人間関係の問題は解消されます。この時、あなたは心理的に成長しています。このように反面教師はあなたを成長させるきっかけを提供してくれるので、人間関係の悩みや問題はチャンスに変えることができます。

問題克服のバロメーター

そして、あなたが成長できたかどうかの判断は、起きる現象を見ると測れます。もしもあなたが成長していない場合、同じようなことが繰り返し起こります。その時は立ち止まり、自分の中に矛盾や葛藤がないか、目を向けましょう。その時の問いかけはこうです。「反面教師が教えてくれる、自分の中の矛盾や葛藤は何か?」(サイトからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

これは神様を中心とした正しい問題の捉え方だと思います。いたずらに問題に振り回されないで、神様を中心にして問題を正しく捉えましょう。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は私たち日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 26章6~13節

さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」

するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られ、この人の記念となるでしょう。」

女の行為

どうしてこの女がこのようなことをしたのか私には分かりません。ただ何かイエスにしてあげたいと思ったのではないでしょうか。自分に出来る最高のことは何かと考えた時に、この高価な香油になったのかもしれません。

憤慨する弟子たち

それにしても、弟子たちは憤慨して、「こんなむだなことを」と言ったということですが、よくもイエスを目の前にして、そんな失礼なことが言えたものだと思いますが、それほど高価なものだったのでしょう。確かに何百万円もするもだったとしたら、失礼かどうか考える間もなく、「バカヤロー!何してるんだー!」となるかもしれません。でも、自分のものでもないのに、女が自分のものを自分の好きなようにしても弟子たちと何の関係もないと思います。

神様から与えられる「思い」

しかし、私たちはこの弟子たちのような間違いを犯しやすい者ではないでしょうか。物事をただ合理的に考えて、何が有益で、何が無益かなどと計算するのではないでしょうか。もちろん、そのような計算も無意味ではありませんが、もっと大事なことは、「これをしてあげたい」という「思い」ではないかと思います。神様は私たちの心にこのような思いや動機を与えてくれるのではないでしょうか。

「思い」は「計算」を超える

この女は埋葬の用意をしてくれたのだとイエスは言いました。女はイエスが十字架につくことを知っていたのでしょうか。そうとは知らずに香油を注いだのかもしれません。いずれにしても、頭で考えるだけでなく、神様から与えられる思いに従って行動するなら、それは人の理解を超えた大きな意味を持つことになるのかもしれません。その時には分からないこともありますが、後になると分かることもあると思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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