キリストの十字架と復活のメッセージ
イエス・キリストが人類の罪を身代わりに負って十字架に死に、3日目によみがえられたこと。そのことを信じて、罪を悔い改めて、イエス・キリストを主と信じ、告白するなら、罪が赦され、永遠の命が与えられ、天国に入ることができる。これが聖書が伝える福音であり、全ての人々にこのメッセージを伝えることが最も大切なことだと私はクリスチャンとして以前は考えていました。
救いは行いによるのではなく、信仰による
確かに新約聖書を読むと、そう書いてあるので、行いよりも、キリストを信じる信仰が大切だと私は考えて、キリストを信じて欲しいと人々に伝えていました。しかし、それはキリスト教徒になることが大切だというメッセージに聞こえるので、本当にそれで良いのだろうかと疑問に思うようになりました。
自己中心を退けて、神様を中心にして生きること
これまでクリスチャンとして歩んで来て、自分の生き方に何が一番大きな影響を与えているかとあらためて考えた時に、神様を中心にして生きるということではないかと感じています。あらためて聖書を読んでみると、イエスもまた悔い改めて、つまり、自己中心を退けて、神様を中心にすることが救いだと教えていると思います。
十字架と復活を否定する訳ではないが
イエス・キリストの十字架と復活による罪の赦しを否定する訳ではありません。それは、私の救いの根拠であると信じていますが、伝えるべき最も大切なメッセージはキリストの十字架と復活ではなく、自己中心を退けて、神様を中心とした生活をすることではないかと思います。
反論もあるかもしれませんが
もちろん、クリスチャンの方からは、最も大切なことはキリストの十字架と復活のメッセージだと聖書に書いてあるではないかという反論はあるかもしれません。だから、キリストの十字架と復活のメッセージを最も大切なメッセージとして伝えるというクリスチャンがいることは当然だと思います。それも尊重したいと思います。でも、私は神様を中心とした生活こそ救いだというメッセージを最も大切なこととして伝えたいと考えています。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典というよりも、神様を中心として生きようとしたユダヤ人の記録として読んでみてはいかがでしょうか。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きることについて考えるために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 3章1~6節
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。
彼らは黙っていた。イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
片手のなえた人をいやす
驚いたことに、人々はイエスが片手のなえた人をいやすかどうかうかがっていたと記されています。少なくとも、彼らはイエスにはそれが出来ることを知っていたということでしょう。それこそ神様の力がイエスを通して働いているという奇蹟だと言えると私は思いますが、いかがでしょうか。しかし、人々はイエスがいやしたら、訴えようとしていたとあります。どういう考え方をしているのでしょうか。
宗教ではなく、良心で判断する
安息日に病人をいやすことは労働にあたるということで、ユダヤ教の戒律では禁止だと考えられていたということなのでしょう。しかし、そのような宗教の戒律を守ることが大切なのでしょうか。「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」というイエスの言葉は、それぞれの良心にその判断を求める言葉だと思います。答えは明らかだと思います。しかし、人々は答えませんでした。イエスは怒りを感じ、人々の心がかたくななのを嘆いたとあります。
いかがでしたか
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目次
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二章 日本人の宗教観
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四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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